百間廊下
西の丸を囲むように築かれた300m近い長屋は「百間廊下」と呼ばれています。右手(北)の部分は長局で、忠刻の御殿で働く奥女中の住む部屋がありました。 そうした居住施設としての機能の他に、西側からの攻撃に対する防御機能がありました。姫路城の西側は山がすぐ近くに迫り、防御上の弱点でした。そのため、百間廊下では外側(西)に向かって格子窓や狭間がいくつも備えられました。格子には鉄板が張られその上から漆喰を塗り込み、頑丈な造りになっていました。有事には鉄砲隊を配備すれば強力な防御線となり、雨でも射撃ができる利点がありました。また通常は倉庫として使用し、戦時には城下の武士の家財道具などを避難、収容することもできました。とくに特徴がなさそうな建物群ですが、姫路城の防御力を現している建物なのです。
千姫ゆかりの西の丸櫓群 ワの櫓から化粧櫓まで約240m。とても長い廊下が続いているこの長屋群を「百間廊下」と呼んでいます。2階建の櫓と櫓の間は、渡櫓と呼ばれる長屋で結ばれており、別名多門櫓とも呼ばれます。"天守の無い城はあっても、多門櫓の無い城は無い"といえるほど、江戸時代の城郭に不可欠な建物です。倉庫にも住居にも、さら防御施設としても機能する上、構造も単純で解体して移築することも容易でした。「百間廊下」も場所によって構造に違いがあります。西の丸に本多忠刻の御殿があった時期、局として使用されたのは私櫓から北側の長屋と考えられます。
廊下の大戸
この廊下の大戸は、建物内の扉とは思えない頑丈な造りです。この扉の内側は女性が居住していた場所であったため、毎夜閉ざして厳しい守りとしていたと考えられます。
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