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バーチの小津作品分析について

1 To the Distant Observerの意義


 ノエル・バーチの To the Distant Observer は、著者が西洋人であることによってこそ指摘しえた事実と、またそれ故に読み逃さざるを得なかった事実への興味から、二重に面白く読める日本映画研究書となっている。むろん、著者が日本語を解さず、日本文化の形式や意味が都合よく解釈されてしまっていることはそれなりに割り引いて考える必要はあるが、それはそれで逆に、これまでつい見過ごしてしまいがちだった意外な問題を引きだしてくれる。

 本書が、西洋映画に内在するイデオロギー批判を意図して書かれ、日本映画が西洋の支配的コードとの対比から分析されることは、西洋とは異質な文化の表現モードの解明に自ら制限を設けてしまうことでもあり、取り上げる作家や作品によっては妥当性を欠く場合も多いように思われる。しかし、少なくとも小津安二郎作品は、そうしたアプローチが最も有効なテクストであるに違いない。なぜなら、小津ほど西洋映画、ことにアメリカ映画を啓蒙し、西洋的な表現コードの摂取とその組み替えに意識的であった日本の映画作家は他にいないと思われるし、小津自身の映画に対する創作態度(*1)は、西洋映画から創作方法の多くを学んだ小津の、間接的な西洋映画批判ともなっており、それがバーチの問題意識と共通するように思われるからである。

 西洋人に限らず、小津作品の論者が多かれ少なかれ、西洋映画からの影響とその消化、また表現システムの類似と差異を論じている根拠には、初期作品における西洋映画からの直接的な影響、さらには独自なシステムを組織してもなお西洋的コードとの類似性を強く意識させる形式の外形上の特徴といった事実が考えられる。そうした西洋と小津との関係のうち、形式面での研究は、バーチやトンプソン、ボードウェルの研究のように、いわゆるハリウッド・コード(バーチの言う西洋の支配的モード)との比較分析に直結していくのだが、バーチの研究はそれを史的展開に即しながら論じ込んでいく点で、小津作品の形式を最もアクチュアルに捉えている。


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