太神宮(たいじんぐう) 神道の中心は伊勢の皇太神宮であり、その略称が「太神宮」である。古代からわが国の神の崇敬には明確な教義はなく、その信仰はおおらかな心情にとどまっていたのに対し、仏教には体系的な法典と明確な教義があるため、神道は仏教に対抗できなかった。その為、仏教は神道をしのいで次第に普及していった。仏教は政治と結んでその勢力は強くなり、神社にも「神宮寺」をたて仏教が神社を支配し、江戸時代になっても神宮寺の僧が神社を支配下におくのが普通であった。そうした中で「古代の神の純粋な心を見直そう。」という動きが神道関係者の間から出て、やがて「国学」という大きな勢力となった。その後急速に高まり全国の各集落に「伊勢講」がつくられ、その議員が交替で伊勢神宮に参拝するようになった。これらの太神宮碑は、その頃からこれらの人たちによって建てられたものである。
表面 寛政九年丁巳年 講中 太 神 宮
九月吉祥日 十二人
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