湯殿山の開山は丑年であり、民間信仰では出羽三山はご縁年(丑年)に大勢の参詣者で賑わった。この大岩も牛首(頭)に見える事から縁起担ぎとされている。また、三山の地形を羽黒(臀部)、月山(背)、湯殿山(頭)に寝ている牛に見立て『犁牛(クロウシ)』と呼ぶ事もあり、丁度この石のある辺りが長い首であろう。また麓の農村で月山の雪解けが斑牛の顔に見えると田植えの時期だった。と伝えられる。 最近入手した情報では、日本海側には牛首や牛頸などの地名が多く、コレは大昔に朝鮮半島から農耕牛が海を渡って直接入ってきており、特に山形は特徴的との説もある。いづれにしても、昔は地元農民にとって牛は大切な生活仕事を果たす存在であった。
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