観音は全ての衆生を救済するため、それに応ずるように三十三の姿を現すという。これを三十三応現身という。観音信仰は古来広く行われたが、平安中期から六観音の信仰が起こった。また紀州(和歌山県)那智山を観音の浄土補陀落山の霊跡に当て、各地に観音霊場の寺院を考えてそこに参詣することが盛んになり、末期には西国三十三所霊場巡礼の信仰が現れた。その後坂東・秩父の札所(秩父はのちに三十四となる)が成立し、室町末以来、この3ヶ所百観音を巡礼することが行われ、江戸時代には庶民の間に広まり、各地に「百番供養」の石塔を見ることができる。地方的な札所も数多くつくられ、最上三十三所もそうである。
寛政十一己未年 勝五郎 市口
最上三拾三所観世音菩薩供養
十月十七日 講中二十人
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