下部土中に埋まっているが「太神宮」と思われる。これは伊勢講碑と言われ、伊勢講の講員全員が代参を完了したときなどを記念して造られた碑である。伊勢講は伊勢信仰つまり伊勢神宮の信仰集団である。江戸時代に入ると伊勢信仰は全国的に広まり、伊勢講も各地に広く分布した。この頃の庶民は単独で伊勢参宮に行くのは費用の負担が大きいため、伊勢講で講金という形で金を積み立て、これを路銀にして交代で伊勢参宮を行う代参講的な形になっていった。神号は他にも「天照皇太神」「天照大神」天照皇大神宮」などと刻まれるものがある。また、自然石の塔の場合正面に圭頭型あるいは花頭型の窪みをつけ、この窪みに神号を彫ったものが多いとされるが、上写真にもその窪みのようなものが文字上方にみられる。
表面 太神・・
下部土中に埋まっているために不明であるが、太神宮と思われる。
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