日本映画の中で最も感銘を受けた映画の一つが小津安二郎監督の『麦秋』(1951)です。最初に見たのは高校生の時です。東京の名画座・並木座で見ました。その後、高校の学園祭で上映を企画したのがきっかけで、高校生心ながらこの映画の表現の奥深さを発見し、以来、小津の映画に魅せられ続けることになりました。
小津の戦後の代表作『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)の中でも『麦秋』は一際表現が深奥です。一見したところ日常的な生活の風景を描いているように見えます。感情的な起伏もない。さらに言うと筋立て(プロット)がない。ドラマがない。ない、というよりも核心のことは全てが隠されて、映画はただ表層としての日常生活のみを淡々と綴っているかのように「見せかけられます」。これに比べると『東京物語』は、筋立てが露骨で(老夫婦を邪見な子どもたちにいびらせようという明らかな作為)、『麦秋』では全て隠してしまったものを逆に露わにして、観客にはより理解しやすい映画に仕立てたのではないかといぶかるぐらいです。おそらくそう見て間違いないでしょう。この点が、世界中で評価の高い『東京物語』より『麦秋』を高く評価する積極的な推奨理由です。
小津は『麦秋』だけは誰にも作れないという絶対の自信を抱き、その表現にかつてないほど苦しみぬいたことが当時の雑誌などに記された発言から裏付けられます。
表面上は普通のホームドラマのような物語を軸に、ごく普通の家屋、ごく普通の生活や人のふるまいなどが示されて、見た目はホームドラマにしか見えません。しかしその一方で、時空間の造形は恐ろしいほどに構造化されて挑発的です。その最も端的な事例がファーストシーン、間宮家の朝の風景です。
老夫婦、兄夫婦、妹・主人公の紀子、兄夫婦の子ども2人(実、勇)、計7人が朝食を取ったり、出勤の支度をしたりしながら、室内での人物の動きの交錯する見事なアンサンブルになっています。
<ファーストシーン:間宮家・朝の風景> #はショット番号 #5 二階・全景 左から実来て去る(階段を降りる) #6 一階・台所と廊下 実、階段降りて右の茶の間へ #7 一階・茶の間 ちゃぶ台で紀子食事、実、左から来て座る #8 一階・玄関側廊下 勇、左の茶の間へ入る #9 #7の反対方向のカメラ 勇、左から来て座る、右へ行く #10 #6と同じ 勇、左から出てきて奥に行き右へ (このシーンは#25まで続く)
このようにショットごとに人物の部屋への出入りが続き、さらに出入りの間は、人物が襖の陰に隠れ(オン→オフスクリーン)、次のショットでは襖の陰から現れ(オフ→オンスクリーン)、さらにカメラの方向が180度転換しているために居場所を固定されたという感覚がないまま、部屋の出入りと会話のやりとりの交替でショットが切り替わりつつ連続してきます。見事なほどに出る、入る、出る、入るが繰り返され、紀子が玄関を出、さらに子ども2人が玄関を出るという動的でリズミックな展開。このような部屋の出入りの連続で構成された映画の場面はほとんど見た記憶がありません。ジャン・ルノワールの『ゲームの規則』(1939)がその意味では全く違うタイプの映画ながら一番似ていると言えなくもありません。
これだけ極めて緻密に構造化された表現が、単なるホームドラマに見えてしまうということは最大のトリックかもしれません。葛飾北斎の具象画の造形が極めて抽象的で大胆であるケースにも例えることができます。
それぞれの場面の構成も微笑ましい日常スケッチでありつつも、表現は大胆で、しかしほとんどの観客はその大胆さに気づけないまま、それぞれが余韻を残します。
☆北鎌倉駅のホームで電車を待つシーン ☆鎌倉の大仏の前でくつろぐシーン ☆上野の博物館で糸の切れた風船を眺める老夫婦のシーン ☆高価なショートケーキを子どもが来て慌てて隠すシーン ☆砂浜で兄嫁と結婚の決まった紀子が会話するシーン など
ちょっと面白いのは、1951年に新築開場したばかりの新歌舞伎座での観劇シーンが織り込まれていること。しかも舞台そのものは完全にオフスクリーンで観客席のみが提示され、さらにラジオ中継の様子までが描かれています。松竹映画が歌舞伎のPRをすることにぬかりなく、しかもオフスクリーン効果(音だけ聴こえる…)によりその印象がさらに強められています。
映画全体を貫く出る入る、出る入るの繰り返し、180度のカメラ位置の転換といった流れは「時間の構造化」ないしは「時間の可視化」ということもできます。部屋の出入り、カメラの転換、人の動き、オフスクリーンのオン/オフの頻繁な繰り返し、が緻密にリズムを刻んでいます。小津は「ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った」と語っています。抽象(輪廻)と具象(日常生活)がこれほどまでに大胆に描かれた映画を他に知りません。大変な傑作ではないかと思うゆえんです。
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