原作は,英国の劇作家ノエル・カワードの戯曲である。20世紀フォックスはその映画化に際し,英国劇壇の名女優ダイアナ・ウィンヤードをはじめ,英国人を多く起用して英国的色彩を強く打ち出した。
脚色は英国の劇作家で政治家でもあるレジナルド・バークリー,監督は英国生れで後に渡米して映画界に入り,多くの大作を手がけて成功したフランク・ロイドである。この超大作の演出に当って,ロイドは助監督,台詞監督以下200名のスタッフを指揮し,撮影前に8ヵ月の準備を行ったと言われる。ロイドは1928―29年度の『情炎の美姫』に続く監督賞受賞で大監督の地位を揺ぎないものにした。
公開当時,この作品は演出・演技面に比して,脚本の粗大さが不評を買ったようだ。たとえば岸松雄は,「夥しい年代史的なエピソードをとりあげながらその核心を掴もうともせず,この脚色者は慌立しくそれらのエピソードを景的に体積していったに留まっていたのである」と劇構成の難点を指摘しながらも,「但し,部分的にはフランク・ロイドの温味のある監督手法の良さが随所に窺える」と演出を評価している(『キネマ旬報』1934年2月1日号)。
長い準備期間が設けられただけあって,この作品には様々な演出上の工夫をみることができる。すなわち,物語の大きな時間経過に即して,時おり挿入される騎馬行進(カヴアルケード=原題)のライトモティーフ,1914年から1918年にかけての第1次大戦の惨禍とその経緯,戦後の新たな混乱状況を示すモンタージュ・シークウェンス,群衆シーンの多用,英国の歴史と時代の雰囲気を伝えるための豊かな音楽の挿入などである。こうした演出上の配慮にもかかわらず,それらが必しも望み通りの効果をあげえず,また首尾一質しなかったのは,劇の構成にそもそも難があったためであろう。
それでも,家族の物語と祖国の歴史とが絡み合った劇構成と,入念ともいえる演出は,画面内および画面と音声の間の映画的空間に,出来事の同時進行性の現実感をもたらしている点で,トーキー初期における映画演出の一つの成果を示している。 まず画面内構成では,家族の物語の劇空間と歴史的状況を示すその外延空間が,〈前景/後景(屋内/屋外)〉の関係で並行的に提示される。たとえば,出征する夫ロバートを妻が見送る港の場面のように,並行する二空間がスクリーン・プロセスによって構成される場合もあるが,このような並行提示は,窓=バルコニーによって仕切られる〈マリヨット家の2階室内/街路>の空間構成において特にすぐれた効果を生んでいる。
マリヨット家2階の空間は,窓=バルコニーを通して家族の物語が祖国の歴史的状況と直接的に関り合う中心的な劇空間として設定されているが,その空間が有効に機能するのは,主に音声を通して外的状況が家族の物語に関わってくるからである。たとえば,次第に近づいてくる行進の音と群衆の歓声が路上の光景を示す以前に長く提示され,そうした音の接近は物語と歴史の縫合機能だけでなく,その時代のそこに居合わせているという臨場感を生み,時代の濃密な雰開気を醸し出すのに役立っている。『ニューヨーク・タイムズ』評(1933年2月23日付)でも,「最初の方のエピソードにおいて,時おり路上の馬のひずめの音が聞え,また時として旧式な四輪馬車の音が聞える」と,音声が時代の雰囲気とその変化を刻々と伝えている点に着目している。
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