法円坂建物群の説明を読んで、なるほどと思いました。私も以前から不思議に思っていたことに堺市の百舌鳥などに数多く存在する前方後円墳などの古墳の存在があります。場所的には海に面したエリアにあり、年代が下って飛鳥が都となり、やがて奈良に都が移ります。つまり、渡来人は海からやってきて次第に内陸に入り、日本の国づくりをしたと見ることもできます。従って、古墳を作った豪族たちは渡来人だったのではないか。韓国でも前方後円墳が発見され、どうもその説は本当らしいということになってきました。
そうした大陸との交渉の中でキーになる場所がここ難波津であるようです。真田幸村の物語もさることながら、もっと時代を遡った古代の国家づくり、という歴史背景にもフォーカスを当てたいものです。
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