今まではハナといえば桜のことですが、昔は紅花のことでした。ハナ畑・ハナ摘み・生バナ・ハナ寝せ・干バナ・水バナ・ハナ梁など、いずれも紅花にかかわることばです。
紅花は地中海沿岸、またはエジプトが原産地といわれているキク科の植物です。耐寒性で、茎の高さが1メートル内外、7月上旬には茎頂にアザミに似た鮮黄色の可憐な花をつけます。
それでは、紅花は原産地のエジプトから、どういう道をたどって日本に来たのでしょうか。
中国の有名な『西域物語』という本には、「今から2200年程前に張騫という人が中央アジアに行った時紅花の種を持ってきた」と書いてあります。漢の武帝の時代のことで、張騫は紀元前139年、武帝の使者として長安を出発しました。武帝は大月氏と結んで匈奴を攻めようという計らいでしたが、張騫は不運にも途中で匈奴に捕らえられますが、自力で脱出して長安にもどって来た、というえらい人物でした。
張騫が紅花を中国に持ってきたというのは、彼の偉大さを伝えるための物語りで、紅花の普及は決して彼一人の力ではなかったと思われています。シルクロード沿いに住む多くの人たちが、長い年月をかけて次々に紅花の栽培法と染色法を中国に伝えたのでしょう。
中国産の絹はヨーロッパ人から好まれ、シルクロード(絹の道)を通って西に運ばれましたが、紅花は同じ道を西から東へ渡って、中国に来たことは確かです。
文化の東漸にしたがって、中央アジアからインドなどに伝播した紅花は、推古天皇の時代(593〜629)に中国との文化の交流によって、わが国にもたらされたといわれています。
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