【2016/04/22】上田城、進軍開始(二の丸橋〜本丸編)

上田城、二の丸橋から本丸へ

二の丸橋

撮影した写真

(5件)
01 二の丸橋 02 二の丸橋を表す言葉遊び 03 二の丸橋下のケヤキ道 04 二の丸橋下のケヤキ道
05 二の丸橋

武者溜(むしゃだまり)、現在は真田丸大河ドラマ館


武者溜(むしゃだまり)
 櫓門前の敷地一帯は三十間堀と石垣で他から仕切られた一つの郭になっており、「武者溜」とされていた。
武者溜とは城門内の外郭に沿った広い場所で、軍勢の屯集、勢ぞろいに使われる一画をいう。

 松平家在城時代には、その中に同家の鎮守社などが祀られるようになったため、
この武者溜は「鎮守曲輪」とも呼ばれた。
 

撮影した写真

(1件)
01 真田丸大河ドラマ館

上田城本丸東虎口


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2016/04/22 上田市

本丸東虎口説明板


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2016/04/22 上田市

本丸東虎口(ほんまるひがしこぐち)

 現在、本丸の東西虎口には3棟の櫓が残っています。
 東虎口にある南北2棟の櫓は明治8年(1875)に民間に払い下げられ、
上田城の北方、太郎山山麓の上田遊郭に移築されました。
昭和16年(1941)には市内の建築業者から東京の料亭に転売されるという事態が起こりましたが、
市民らにより上田城址保存会が結成され、2棟の櫓を買い戻しました。
その後、戦局の悪化による中断をはさみながら同24年(1949)に現地に復元。
南櫓・北櫓と名づけられ、上田城跡のシンボルとして人々を迎えることになりました。
昭和34年には、西櫓とともに長野県宝に指定されています。
 また現在東虎口にある櫓門は、古写真等を根拠に平成5年度に復元したものです。

(本丸東虎口の説明板より)
 

真田石の説明


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2016/04/22 上田市

→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2016/04/22 上田市

真田石

 大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために、大きさを競ったという。
真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、
微動だにしなかったという伝承がある。
現在ある石垣は仙石忠政が造ったものであるが、真田氏に寄せる人々の敬愛の情がうかがえる伝承である。

(真田石の説明板より)
 

上田城本丸北西隅櫓跡の説明


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2016/04/22 上田市

→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2016/04/22 上田市

上田城本丸北西隅櫓跡

 仙石忠政によって復興された上田城には、本丸に7棟の二層隅櫓と2棟の櫓門が建てられていました。
本丸の東西の虎口(出入口)には、一対の石垣が築かれ、櫓門と2棟の隅櫓が建てられ、
北東部の土塁上には2棟、北西部の土塁上には1棟の隅櫓が建てられていました。
本丸北西部の隅櫓は、二の丸西虎口の正面に位置し、西側から侵入してくる敵に備えた櫓でした。
 本丸北西部の
 

撮影した写真

(25件)
01 上田城 02 上田城の堀 03 真田石の説明 04 真田石
05 上田城本丸東虎口 06 上田城本丸東虎口 07 上田城本丸東虎口 08 上田城本丸東虎口
09 上田城本丸 10 上田城本丸 11 上田城本丸 12 上田城本丸
13 上田城本丸 14 上田城本丸 15 上田城本丸 16 上田城本丸
17 上田城本丸 18 上田城本丸を囲う堀 19 上田城本丸を囲う堀 20 上田城本丸を囲う堀
21 上田城本丸 22 上田城本丸北西隅櫓跡の説明 23 上田城本丸北西隅櫓跡 24 上田城本丸を囲う堀
25 上田城本丸を囲う堀

[ カテゴリ(いざ上田)へ戻る | ←← | →→ ] [ カテゴリ(いざ上田) | 地域(上田市) | 記録日(2016/04) | 登録日(2016/05) ]
[ ホーム| ]