平和の鐘建設の由来 時の鐘の歴史は延宝5年(1677年)原町問屋日記の文献に より明らかにされているが或はそれ以前からか時を知らせる 鐘として上田城下の住民に親しまれて日常生活に欠かすこ とができなかったと伝えられる。 以来二百数十年の長い間正しい時を知らせ続けてきたが時代 の移り変りの中で大正14年この知らせはサイレンに代った。 また鐘の位置も幾度か変わり昭和9年に上田城跡のこの場 に落ち着いた。 昭和18年大亜戦争が次第に悪化するにしたがい遂に軍 に徴発され時代とともに鳴り続けた「時の鐘」は姿を消して ただ鐘楼のみが淋しく歴史を物語り風雪に耐えていた。 この歴史的遺産をなんとか復元しようと市民の間に何度か 計画されたがその実現には至らなかった。しかしこのたび 昭和47年上田市自治会連合会にこの復元運動が起こり広く 全市民の協賛によってその名も「平和の鐘」と改め30年振りに 昔の姿に再現された。この鐘の鳴り響くかぎり再び悲惨な事の起 らないよう10万市民の平和の願いがこの鐘にこめられている。 昭和48年吉日 上田市
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