大里忠一郎 (1835〜1898) 明治維新後、職を失った士族のために大里らは松代町字西條に「西條村製糸場」を興した。 手本としたのは明治5年に群馬県富岡に創業した官営富岡製糸場であった。 器械製糸場を未熟な技術ながら自力で建設した。 規模は富岡製糸場の約6分の1であった。 大里は蒸気製糸場(六工社)の経営総括責任者としてばかりでなく、その後、長野県の製糸業界の指導者として製糸業において貢献した。 とくに我国の製糸業の近代化ばかりでなく生糸の販売にかかわる銀行の誘致、設立など海外貿易にも貢献した。 維新後の新しい政府は「富国強兵」「殖産興業」を掲げ、開港以来の主要輸出物産である「生糸」を輸出して外貨の獲得を目指した。 西條製糸場(六工社)は、官営富岡製糸場の技術を見習い、努力によりフランス式の蒸気製糸技術の移転に成功した最初の製糸場であった。 様々な近代化の波の中で製糸場の建設と操業を通して貢献した大里等の仕事は日本の産業革命の先駆けとなったといわれている。
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