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西川町石碑石仏資料

獅子口諏訪神社

カテゴリ: 社標 地域: 吉川 年代: 明治1868〜
(2004/02/08 更新日: 2007/05/22)


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建立年:明治34年  高230×巾30


御祭神は建御名方大神、創立年代は元禄十五年五月二十八日より七日七晩に亘り獅子頭形の岩(現在寒河江川の中)に白蛇現われ去る事を知らずという村人奇瑞なりと言い御神託を乞う。託言に曰く「白蛇は諏訪明神の使臣なり。宜しく獅子頭形の岩上に諏訪明神を祭祀すべし。又社守は村人の中より「ソ」の字のある者を補すべし。」と時に稲沢村館に平草七太夫という者あり。草七初代の社守となり龍清法印と名乗る。村人力を合せ掌宇を建立し翌年五月二十八日初の祭典を行ったといわれる。又白蛇は裏山の山頂の北側の洞穴に入り給うによって其処を奥の院と称す。後慈恩寺の宝蔵院より獅子ヶ口惣持院に補せられ慈恩寺の管理を受ける。天保年間三ヶ年の歳月を費し洽し浄財を求め本殿の改築を行い、現在の本殿となり、明治三年神仏分離の法令により諏訪神社と名称を改める。諏訪大神とは国土開発の神であり農耕をも司る神である。故に寒河江川の治水利水の為に寒河江川の沿諏訪明神を祀ったものと思われるが、いつの頃からか婦女子の守護神と言われるようになり、腰下の病気平癒と安産の神として霊験あらたかであり信仰されている。又獅子は無限の神通力を持ち災難除け厄除けの縁起から交通安全の神として近年参詣者が増大しつつある。
 
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