酪農をはじめとする畜産業の全盛期 昭和42年(1967年)に第1次農業構造改善事業が始まり、その主要事業である仁田山放牧場が2年後の昭和44年(1969年)に完成するとともに、翌昭和43年(1968年)には沼の平〜水沢小沼口まで牛乳パイプラインが敷設された。昭和43年(1968年)〜昭和44年(1969年)頃に乳用牛や肉用牛の飼育農家数がピークを迎え、合わせて約820戸にのぼり、総世帯の3戸に1戸が牛を飼育していたことになる。また、畜産の粗生産額は、昭和41年(1966年)に1億円台になり、昭和50年(1975年)に3億1,300万円の最高額を示しているが、昭和40年代に酪農をはじめとする畜産業が全盛期であったことが伺える。 ちなみに、仁田山放牧場の放牧頭数は、昭和43年(1973年)〜昭和44年(1974年)に159等で最高の数を示した(町外からの放牧頭数も含む)。 平成に入ってからの放牧頭数(町外からの放牧頭数を含む)は、50〜60頭で推移している。
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