NHK BSプレミアムで放送されたポーランドの作曲家ペンデレツキ(1933年〜)のドキュメンタリーと80歳バースデー・コンサートを録画で見ました。なかなかに面白い番組でした。
☆NHKプレミアムシアター「ドキュメンタリー 作曲家ペンデレツキ 迷宮の小道」他 http://www.nhk.or.jp/bs/premium/playlist.html?st=20140120
このドキュメンタリーはいきなりロックコンサートでペンデレツキが自作の『広島の犠牲者に捧げる哀歌』などを指揮する場面から始まります。現代のクラシック系の作曲家がロックコンサートで大勢の若者から喝采を受けるというシーンは、大衆性を失った現代音楽の世界においては極めて珍しい現象です。
ペンデレツキと言えば何と言っても『広島の犠牲者に捧げる哀歌』を想起します。この曲も久々に聴きました。まだお聴きになったことのない方はYouTubeで探してみるとすぐ見つかります。
☆Penderecki - Threnody (Animated Score) http://www.youtube.com/watch?v=HilGthRhwP8
1960年の作曲です。無名だったペンデレツキを一気に世界的に有名にした出世作と言っていいでしょう。今聴くと前衛的というよりも、1960年代という時代を彷彿とさせる歴史的作品という印象を先に受けます。というのも今こういう作曲はあまりしません。この作品は半世紀も昔の作品です。今さらながら前衛であるわけがありません。
音階の異なる音を同時的に複数の楽器から発すると一種のうなりのような現象が生じます。調性上のハモリである和声とは異なります。これをトーン・クラスターと呼んでいます。Wikipediaを見てみると、トーンクラスターは割と早い時期(19世紀)から用いられていたらしい。 → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%…F%E3%83%BC
作曲家の故・黛敏郎が新進気鋭の時代、NHKのスタジオでホワイトノイズや録音テープの音源を素材に電子音楽や具体音楽(ミュジーク・コンクレート)の作品を作っていた様子が、つい先日放送された「スコラ 音楽の学校」でも紹介されていました。黛敏郎の代表作の一つ『涅槃交響曲』は電子音楽時代、ホワイトノイズの周波数を組み合わせると一種のうなりが生じることを発見し、オーケストラでそれを実験してみたのだと言います。『涅槃交響曲』は30年ほど前、生演奏で聴いたことがあります。たしかにうなりのような響きはありましたが、調性のある音楽を再生する西洋の楽器では音高が揃いすぎて「うなり」の響きがあまり出にくいなあとは思いました。トーンクラスターということを言うのであれば、一番それに近いのは雅楽の笙の響きです。笙は音が響き合って文字通り音が「うなり」をあげます。ぞくぞくするぐらいに官能的に体感に響いてきます。
ドキュメンタリーでは、若き日のペンデレツキが放送局で電子音楽をやっていたことが紹介されていました。ああ、やっぱりと思いました。その当時の前衛作曲家は、放送局でホワイトノイズを音素材にしたり、録音テープを切り刻んでは貼り付けて作曲していたわけです。そういうことをやっているとどうもトーン・クラスターに走るようです。
ペンデレツキの『広島』はどうかというとやはりうなりはそれなりに足りません。やはり西洋楽器の限界でしょう。それはそれとしても、楽曲として聴いてみるとこの曲は「かなりいい」。楽曲のよさ、音楽の普遍性・不変性を言語では語りにくいものの、何度聴いても「飽きない」、「また聴いてみたい」と思わせるのは音楽的な力があるということです。
ペンデレツキの音楽は、決して大衆性があるとは言いかねますが、現代の商業的ニーズに適合している一面があります。これがペンデレツキの、ある意味「凄い」ところです。作曲の委嘱の依頼が多く、応え切れないので多くの依頼を断っているのだと言います。映画監督のスタンリー・キューブリックからも映画『シャイニング』の作曲の依頼があったのを断って既成の曲を紹介して使ってもらったのだといいます。面白いことに映画音楽としては全く違和感がないぐらいに、ホラー的なイメージとマッチングします。
ペンデレツキの作品はその後はどちらかと言うと、新古典主義的な印象すら受ける作曲に進化していきます。音楽には民俗学的な要素がかなり入っているように思われます。武満徹の音楽に日本を感じ取るように、おそらくペンデレツキにはポーランドが詰まっているに違いないと感じました。ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダの映画で使われたペンデレツキの音楽が印象的です。ワイダの映像のなまめかしい、ワイダぐらいの巨匠でなければ撮れないような歴史的重みのある映像の1ショットにグッと来ました。そこにペンデレツキの重厚な音楽がかぶさってきました。大げさな言い方をすると、まさにそこにポーランドの真髄があると思わせるぐらい、映像と音の迫力が違うのです。
ペンデレツキの作品を演奏した演奏家たちが口々にペンデレツキの音楽の深い感性にはしびれるという意味の発言をしています。それだけ音楽の表現の奥深いところで演奏者の心を虜にさせてしまうほどの音楽の力を宿しているということなのでしょう。
ポーランドの故郷の自宅に広大な土地を持ち、その土地を樹木の豊かな庭園に作り変え、さらにそこにコンサートホールまで作ってしまうということにも驚きました。委嘱料などでそれだけの稼ぎがあるということです。
50年も経ったのだから、『広島の犠牲者に捧げる哀歌』はもっとポピュラーになっていい。不思議に日本とゆかりがあります。日本でももっと知られたらいいと思いますね。
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