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小津映画入門

4 不自然に遠回りする人物たち


 小津が整えるかたちは、単に固定したかたちだけでなく、人物の動きにも及んでいる。そこで見逃せないのが、間取りとの関係だ。次の図は、紀子(原節子)が京子(香川京子)を玄関まで見送って、もとの部屋に戻ってくる場面である。

 ここで注目すべき事実がある。2人は、最初の部屋から玄関へ直行せずに、わざわざ遠回りをして玄関へ向かい、さらに原節子が同じルートをたどって部屋に戻ってきていることである。

図 玄関への迂回ルート
今、2人がいる部屋から玄関までは最短ルートと迂回ルートの2つのルートが選べる。
 驚くべきことに、この映画の登場人物たちは、最短ルートを通らずに、たいてい必ずこの迂回ルートを通る。にもかかわらず、観客はこの不自然な事実に全く気づかない。トリックの得意な小津の面目躍如といったところである。

カメラA-1

画面は、身支度を終えた京子(香川京子・左)が小学校へ出かけるところ。紀子(原節子・右)が東京へ帰る日の朝の場面。

カメラA-2 (A-1の続き)

小津映画では人物が部屋を出たり入ったりする動作が繰り返される。その場合、カメラの手前を横切らず、部屋を出るときは決まって襖の陰に姿を消すのが特徴だ。

カメラB-1

玄関前の部屋。別の部屋に入るときも、やはり襖や障子の陰から姿を現すという出方をする。この画面の場合、右の障子戸と衡立がその奥の視界を遮っている。

カメラB-2

部屋の出入り、立つ/坐るといった動作の移行を撮ることは、ふつうなら無駄なことと考える。しかし小津演出では、そこにこそ大切な意味が込められている。

カメラB-3

小津映画では、どの部屋の画面も構図が同じように見える。たとえばこの画面。右前景の障子戸などの絵柄は前の画面とほとんど同じだ。

カメラC

小津映画の室内場面は、人物の動きと会話のやりとりの整然とした交替パターンで構成される。ショットが替わると、カメラの方向も90度単位で転換する。

カメラD

同じカメラ位置の繰り返しも特徴の一つ。部屋の出入り、会話のやりとり、ショットの規則的な転換パターンが一体となって、作品のリズムが構成されている。

カメラE-1

カメラの方向転換は、観客の視角を混乱させる。紀子が向こう画面奥の部屋が、カメラAの画面の手前の部屋のようにも見えるが、実はそうではない。

カメラE-2

紀子が向きを変えて、これから向かおうとするのが先ほどの部屋だ。人物が迂回ルートをたどることで、単純な間取りの家が迷路と化してしまっている。

カメラF

こうして最初にいた部屋に戻る。しかしカメラの方向が反転している。小津映画は、空間的トリップの映画でもあり、リズムを通して得られる時間的体験の映画でもある。

 迂回ルートに加え、もう1つの注目すべき事実は、それぞれのカメラ方向のちぐはぐぶりだ。

 小津のトリックは、迂回ルートの追跡にカメラの方向を絡み合わせることで、望み通りの演出効果を上げる。観客は、人物が遠回りをして部屋を出入りし、その度にカメラがちぐはぐな方向関係で切り替えられていくので、いつまでたっても動きの方向と部屋の位置関係を頭の中に確定できない。映画を見ながら、なまじ間取りを見定めようと思うと、カメラがぐるぐる向きをかえるので、めまいを起こしそうになる。

図 尾道の家の間取りとカメラ位置
図にしてしまえば簡単な間取りなのに、それが観客にはなかなかわからない。この映画では、人物が最短ルートを通らず、わざわざ遠回りをしているのがミソである。そこから小津独自のトリックが編み出されている。
 小津がそこで狙っているのは、時間の流れの体験である。ショット転換を多くして、人物の動きの流れを入念に整えることにより、そこにリズムが生じてくる。観客は、その時間の流れの中に身を置いて物語を体験することになるわけだ。

 人物の動き、ちぐはぐなカメラの方向転換、同じかたちや絵柄の繰り返しなど、小津の表現は、そうした時間体験の中で意味づけられるものが実に多い。そこに小津作品の映画的面白さがあり、また表現の奥深い意味が込められている。


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