裏面(碑文) この地蔵尊は霊峰月山を背に前と左右の三方に河川が流れ陽のあたる南斜面の冷泉湧き出る豪雪の地に鎮座し幾星霜月山沢の村人の心のよりどころとして尊崇を得て来た地蔵尊であります。色々の言い伝えや地名などから部落の定着の起源は相当古いと思われるが、史実を確認する古文書が少少寛文十三年最上白岩領之内西村山郡月山沢村検地帳と七郎ェ門外十三名の地蔵講の記録があるだけである。かくれ里的な部落と厳しい自然環境の中の生活は生命の安全保持のため神仏をたよる外なく守護神として地蔵尊も信仰の大きな存在であった。雪崩の難所地蔵へんぐりで幼児を背負った若妻や下校途中の学童が誰か呼び返す越えで立ち止まり難を逃れた数々の霊験あらたかな例を村人は知っている。寒河江ダムの建設で水没される露座の地蔵尊が集落民一同の熱意により昔ながらの子育て願望と新しい国道112号花笠ラインの交通安全の目的で現在地に地蔵尊を建立移転安座されている。 平成三年十月
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