お八日講 湯殿山の祭りで、「お八日」「八日念仏」ともいった。砂子関は三山行者の恩恵をもっとも多く受けた。この地の八日講は「月八日」と年一度の「お八日講」に分かれていた。「月八日」といって、毎月八日に村の婦人が宿(まわり宿)に集まり、本道寺の住職の書いた「南無阿弥陀仏」の掛軸を掛け念仏をあげた。直会は宿のご馳走でお茶を飲む程度だが、必ずささげを出さねばならなかった。「お八日講」は旧十二月八日(湯殿山の年越しの日)に、世帯主が羽織袴で宿に集まり「南無阿弥陀仏」の軸を掛け、長老に合わせて般若心経をあげ、念仏を唱え年の無事を感謝し来年の幸せを祈った。これが終わると謡三番をうたい精進料理で直会をした。講中が納めた沢山の碑が残るが、そのほとんどは他郷からのものである。ただ「八日塔」は村中の奉納による。
文政五午年 八日塔 八月初八日
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