南無阿弥陀仏 阿弥陀仏の願力(他力)も乗じてその浄土(西方極楽世界)に往生せんとする「他力往生」の信仰は、末法思想の影響もあって、平安時代以降、急速に強まった。比叡山横川にいた源信(恵心僧都)の「往生要集」もその後の浄土信仰に大きな影響をあたえた。この流れの中から法然・親鸞・一遍等が出てえ、阿弥陀仏信仰は「浄土」信仰の主流を形成した。また、現世に阿弥陀仏浄土を造立すべく荘厳をこらした浄土建築・美術を生み、阿弥陀仏堂に遺体・遺骨を納めることさえおこなわれた。鎌倉時代から室町時代にかけて多い板碑(石板塔婆)にも阿弥陀仏三尊を彫刻したものが多い。念仏行事を中心として平安時代後期から宮廷貴族の間に行われた阿弥陀仏講(往生講ともいう)は特別の行事に際し、塚または石塔を立てたし、また阿弥陀仏の十五日縁日は「古今著聞集」にも見られ、古くから行われた。
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