六部の報恩(沼山 鐘つき堂) ある年の晩秋の夕暮れ、何処から一人のみすぼらしい六部が笈を背負ってこの地へ来た。 泊り宿を求めて廻ったが、あまりにもひどいその姿格好を一目見て、宿を貸す家は無かった。 困り果てた六部は、人の良さそうな老婆が目に留まっり、頼みこんだ。「御免下さい。一宿一飯の恩義に預かりたく、どうかお願いします。」老婆は「それはさぞお困りの事でしょう。一寸待ってて下さい。」と言って急いで出て行った。その当時は、今日と同じく隣組があって、何事によらず部落に変わった事があれば名主は勿論のこと、隣の五人組にその事を届けなければならない掟があった。老婆は連絡を終えて間もなく帰って来た。「お待たせしました。それでは、お上がり下さい。」と言って家の中に招じ入れた。この家に厄介になった六部は、病弱の上、旅の疲れも重なって、この家の親切に甘え長逗留してた。或る夜、六部は夢を見た。未だ幼き頃の母の温い懐に抱かれて乳を呑んでいた当時の懐かしい夢だった。 六部は、できる事ならもう一度夢にまでみた乳を呑んで死にたいものだと思い、老婆に一切を打ち明け頼み込んだ。老婆は、これも五人組に相談してみたが、誰一人みすぼらしい汚い六部の願いに応じてくれる人がいない。人の好い老婆は、六部の心境を察し、自分の乳首を提供した。と、満足した六部は間もなく臨終の時が来た。いまわの際に、六部は老婆に「大変長らくお世話になりました。お礼に私が背負っているこの笈をあなたに差し上げます。後で開けて下さい。」と言って間もなく息をひきとった。 名主の指示によって、形ばかりの埋葬を終えた。その後、六部が遺していった笈を名主、隣組立会いの上、開けてみて驚いた。中には大慈大悲の相を整えた大変立派な聖観音像が一体と沢山の大金が続々と出てきた。名主、隣組衆この処分について協議を開き「お前が六部を長い間、親切に世話してくらたお礼にと貰った金だ。しかし、この観音像だけは、この金の内で適当な場所へ奉祀したらどうか。」となった。以来、家運はとんとん拍子、歴代の当主は常にその恩を忘れず、年々旧暦六月十八日の御縁日には、多くの信者に呼びかけ、盛大な観音祭りが催されていたという。
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