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西川町石碑石仏資料

間沢三霊供養

カテゴリ: 供養塔 地域: 間沢 年代: 寛文1661〜
(2004/01/20 更新日: 2007/05/22)

(2件)
01 間沢三霊供養 02 間沢三霊供養

建立年:寛文10年 @高81×巾50 A高96×巾60

@現大身??中龍似 A金空風妙法心阿立
領主酒井忠重の苛政による白岩領騒動は、寛永15年(1638年)3月7日の幕府の処置(忠重の領主罷免・白岩領公領・代官小林十郎左衛門支配)により、解決したかに見えた。しかし、その三ヵ月後、領民は再び蜂起、不穏の体勢を示す。理由は、代官の管治が殆ど忠重の支配当時の踏襲で、領民は再び従前の困窮に陥ち、再蜂起やむなしの決意に追いつめられたことによる。小林代官はその鎮圧を、時の山形城主保科正之に乞う。正之は策をもって、白岩領主唱者の陳状を請けると称して山形に呼びよせ、急に襲って一網打尽にし、幕命を待たず、山形長町広河原で磔刑に処す
処刑36名。時に寛永15年7月21日。右36名中、間沢村在住・
月山永公・常秀道眼・空假是心-の三霊。
碑は、三霊を悼む間沢村民の哀情において、その33回の忌日 寛文10年(1670年)7月21日の建立である。

@表面       常秀道眼禅定門
          空假是心禅定門
             三十三年忌        

      現 大 身・・中 龍 似

              建白
        干時 寛文十年七月二十一日

A表面     月山永公禅定門

        妙 法 心 阿 立
   金 空 風         真 似
        是 各 妙 道 霊

      三十三年忌  建白
    干時 寛文十年七月二十一日

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