賢吾稲荷の由来 昔上の平の仲の家に美しい嫁がいた。春先この嫁が山に木の芽摘みに行った。さて夕方になったので帰りかけると、遠くの藪がガサガサと物音がした。ハッと思って夕暗をすかしてその方向をよくみると、子供がこちらを向いてニコニコし急ぎ足で歩いてくる。夕暮れ時こんな処に小さな五、六才の可愛らしい男の子ではないか。男の子は何の躊躇もなく近寄ると直ぐ話しかけてきた。「オラ、お前にたづくたいちゃ。たづくたいちゃ。」と言い彼女の側に来て手を取ろうとする。驚いた彼女は「ナゼ、お前はこのオレにたづくたいのや。」と聞き返したら「オラのお父とお母が要害森で仲間の不幸があって、その手伝いに行って留守なんだもん。オラ腹が減って仕様がないんだ。」と言う。賢い嫁は考えた。この子は確かに狐である。狐にたづかれては大変だと思い「可愛そうに、お前は何才になるや?と聞き返した。「オラ、五人兄弟で三番目の賢吾だ。」と言う。「そうですか、それでは希望にそえなくて気の毒であるが私には、どうかたづかないでくれ、そのかわりお前達においしいご馳走を沢山作って持って来てくれる。可愛い良い子だから後で主人ともよく相談して稲荷様の位を受けて来てくれるから。」と子狐と硬く約束をして急ぎ家路についた。主人に話、了解をもらい、その夜の内に沢山の赤飯と油揚げを用意して翌早朝に男の子と出遭った場所にソッと置いて帰った。数日後、夫婦は京都伏見に行き正一位三男賢吾稲荷大明神の位を受けてやり更に一間四方の祀屋まで建てて祀ってくれたという。最近までこの社があったが現在は唯一基の万年堂だけが建っている。
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