志田周子(明.43.10〜昭.37.7) 我町の最も奥に位地する大井沢竹は無医村で交通手段が専ら徒歩の時代は大変悲惨な日常が多々あった。志田周子は当時大井沢小学校校長をしていた父の念願で医師になった。更に父は東京に在住していた彼女を帰郷させ、昭和十年に大井沢診療所医、村医、小学校医として地域医療活動をする。彼女はコレを生涯の天職とし、僻地医療に献身された。ちなみに医療だけではなく、大井沢村(合併後は西川町)の議員として活躍し、婦人会活動でも指導を発揮し、婦人の地位向上にも力を注がれた。文化面では歌人として数々の作品を残し、逝去後に地元と婦人会が中心になって功労を顕彰してこの歌碑が建立された。
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