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西川町石碑石仏資料

供養塔

カテゴリ: 供養塔 地域: 志津 年代: 昭和1926〜
(2004/02/02 更新日: 2007/05/22)


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建立年:昭和54年  高84×巾122


供養塔由来(碑文)
 私達の古里月山沢は北に霊峰月山西に石見堂岳を仰ぎ、南に豪壮な山岳美を誇る朝日連峰を望見し東に断崖と警告である西方山に囲まれ四季それぞれ自然美の景観を誇る山里であった。しかも月山を源とする四ツ谷川、大越川と朝日連峰を源とし東折して村山盆地を潤す水清く水量豊かな寒河江川の合流する段丘にあり、半年雪に埋れているが三川の恵みを受け南に開けた地味豊かな土地に生命の安定をささえ平和な里であった。先祖はこの土地こそ子孫繁栄の住家であると定め八百年余の古より開拓した人情豊かに平和であれとの教訓は長い歴史の中で培われて来た。この教訓こそ子孫の私達にとって何物にも優る誇りであった。山の幸、川の幸等の豊富な資源は人々の心を豊か人情を厚くその上信仰心をも篤くした。経済的に自給自足の誇りを持って子孫に継承されて来た古里は明治以来本道寺村に、更に西川町へと変遷村山と庄内を結ぶ六十里越街道の二度に及ぶ改修工事と舗装工事の施行水ヶ瀞発電所の建設堰堤の構築等により漸次近代文明の波に洗われた。更に月山を背景とした観光の里として一躍時代の脚光を浴び潤いの兆しを見るに至って然る思いもよらない寒河江ダム建設という末曽有の出来事に逢落した私達はこれに対し個の感情や利害を捨て大同結団して全面協力に踏み切り円満妥結という輝かしい記録を残した。 〜 以下省略 〜
 
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