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ミッチーのほぼ日記

ミニヴァー夫人(1942) Mrs. Miniver

カテゴリ: 映画作品解説
(登録日: 1985/00/00 更新日: 2024/02/22)


メトロ・ゴールドウィン・メイヤー 白黒 134分
監督 ウィリアム・ワイラー 脚本 アーサー・ウィムペリス他、他
出演 グリア・ガースン,ウォルター・ピジョン,テレサ・ライト,他

この解説は、『ワセダ・フィルム・ライブラリー(アメリカ映画・トーキー期 1930―1949)』(1985年,早稲田大学大学院文学研究科)掲載原稿を転載したものです。(執筆:前川道博)
 

解説


 ゴールドウィンに所属するウィリアム・ワイラーが,MGMに招かれて監督した戦意高揚映画である。脚本は,ジャン・ストルーザーの原案をもとに,アーサー・ウィムペリス以下4人の英国人脚本家が執筆した。物語はロンドン近郊の田舎に住むミニヴァー一家をめぐる日常的エピソードの中に,市民生活の平和を脅かす戦争の脅威を描き,市民参加の戦意が鼓舞されている。戦時映画の常とは言え,戦時の熱狂が過ぎると,熱狂下では高い評価を受けながらも,時と共に忘れ去られてしまう映画が少なくない。ちなみに,映画史家のジョルジュ・サドゥールは次のように書いている。「アメリカ映画の幾人かの監督は戦時下にあっても因襲的な英雄主義よりも親しみのある人間性を描こうとした。この態度がアメリカでは傑作と賞賛されたウィリアム・ワイラーの『ミニヴァー夫人』(42)の並はずれた成功を確保したのだ。この映画は,歴史的再現場面で撮影所を感じとった英国,そのプロパガンダがすでに時代遅れとなった頃公開されたフランスではそれほど高く評価されなかった。」(『世界映画史』丸尾定訳)

 サドゥールも伝える通り,この作品は,当時のアメリカでは相当の賞賛を受けたようである。それは,たとえば1942年度のアカデミー賞をほぼ独占したことにもあらわれている。『ニューヨーク・タイムズ』評(1942年6月5日付)では,「これを,かつてつくられた最も偉大な映画の1つと呼ぶのはたぶん早急にすぎる」と断ってはいるものの,「確かに,現在の戦争についてこれまでにつくられた最も素晴らしい映画である」という手ばなしの褒めようである。またこの批評では,これが「制服をまとった兵士についての戦争映画」でなく,「戦場での戦い」のない戦争映画であることが事の他強調されており,これもサドゥールの指摘を裏付けている。

 ワイラー作品の美学的価値を賞揚したことで知られるアンドレ・バザンは,エッセー『ウィリアム・ワイラー,または演出のジヤンセニスト』(1948)で,この作品について次のように述べている。「『ミニヴァー夫人』のシナリオは,結局のところ『我等の生涯の最良の年』のシナリオにくらべてそれほど劣っているわけではなかったが,それは,ワイラーが彼独自の様式上の問題をそこで自らに課することなしに,手際よく作りあげられた。ところが,その結果はむしろ人を失望させるものだった。」(『映画とは何か』邦訳第2巻,小海永二訳)

 同じ戦争という現実を扱いながらも,『我等の生涯の最良の年』(1946)と比べて,この作品が演出面で大きく隔たっていると感じさせるのは,現実性が希薄なことである。現実性の欠如は1つにはプロパガンダ映画の宿命でもあろうし,それ以上に,MGMを〈夢の工場〉ならしめる箱庭的セットの非現実的外観が,ワイラー流の演出を実現させる妨げになったのは容易に推察できることである。とは言え,ワイラーならではと思わせる演出は随所にみられる。特に登場人物の周囲がにわかに緊迫の度を加えて以後の室内場面での〈空間的深さ〉の利用に本領が発揮されている。
 

物語


 「ありふれた英国の中流家庭のこの物語は,1939年に始まる。その時,太陽は幸福で屈託のない人々の上に輝いていたが,英国にはその暮し方と生命そのものに対する戦いが迫りつつあった。」(冒頭字幕)

 ミニヴァー夫人は,かねてから欲しかった高価な帽子を買いにロンドンに出かけ,帰りの汽車で,村の牧師とベルドン卿老夫人に出会い,同席してベルハム村に戻った。駅長のバラード老人は,駅に着いたミニヴァー夫人を事務室に案内し,赤いバラを彼女に見せた。駅長は,丹精こめて育てたそのバラを品評会に出品したいので,美しい夫人にちなんで,バラを「ミニヴァー夫人」と命名させてほしいと頼み,快諾して夫人は帰った。その頃,夫のクレム・ミニヴァーは,セールスマンと交渉して新しい車を買うことに決め,但し妻に値段の事は隠しておいてほしいと頼んだ。夕方,夫人は子供部屋で8歳になる娘のジュディと幼い息子のトビーに食事を与え,食堂で夫と食事を済ませた。車の件を言い出しかねたクレムは,いきなり妻を車に乗せて感想を求めた。すると夫人の方も帽子を被って夫に見せ,2人はお互いが身分不相応の買物をしたことにテしるのだった。

 翌日,ミニヴァー親子はそろって駅で,オックスフォードから帰る息子のヴィンを出迎えた。屋敷のテラスで,ヴィンが大学仕込みの学説を披露していると,そこにベルドン家の娘キャロルが訪ねて来た。キャロルは,品評会に「ミニヴァー夫人」のバラが出品されれば祖母が失望するので,駅長に出品を取りやめるよう口添えしてほしいと,夫人に頼みに来たのだった。ベルドン老夫人の主催する品評会では30年来,老夫人のバラが優勝杯を得るのが習わしになっているからである。ヴィンは,老夫人の封建的な考え方を非難した。キャロルは,彼の批判を「口先だけの空論」と逆にやりこめてはみたものの,自分の頼みの身勝手さに気付いた。その夜,ダンス・パーティーに出席したキャロルは,ヴィンから手紙を受取り,2人で語り合った。
 教会では,牧師が礼拝に来た人々に,英国が参戦したことを知らせ,国民の覚悟について説教した。ミニヴァー家では,果敢な使用人のホレスが早くも陸軍に志願し,出征していった。ヴィンも空軍に志願を決意して意気込んだが,ミニヴァー夫妻にはまだ若いヴィンの志願が気がかりだった。ある夜,ヴィンはキャロルに愛を告白した。ベルドン老夫人は,孫娘が平民の息子と親しくするのを好まず,ヴィンに八つ当りした。その時,べルハム村に初空襲のサイレンが鳴り渡った。

 戦争が始まってから8カ月経った。村の酒場では,墜落したドイツの飛行機の操縦士が失踪したという話でもちきりだった。ヴィンは軍隊で好成績をあげ,休暇をもらって帰ってきた。帰宅するとキャロルがいるのに驚いたヴィンは,その場で婚約を申し込んだが,その時緊急の出頭命令がかかり,ヴィンは休む間もなく家を発った。その夜遅く,クレムにも緊急の召集がかかった。まもなくテムズ川にはおびただしい数のモーター・ボートが終結,ダンケルクに封じ込められた英兵救出へと向った。

 ある朝早く,ミニヴァー夫人は庭先に潜んでいたドイツ兵に脅迫され,台所で食物を与えたが,夫人の機転でドイツ兵は警察に引き渡された。ちょうどその頃,ダンケルクで手柄をたてたクレムが帰り,まもなくヴィンも帰って来た。ヴィンはさっそくその足でベルドン家へ婚約を知らせに行くと,しばらくしてミニヴァー家へベルドン老夫人が訪ねて来た。夫妻の予想に反して,老夫人は2人の婚約を受け入れた。ミニヴァー一家は防空壕で空襲の夜を過ごした。夫人は子供たちに童話を読んできかせ,夫妻も童心に帰った気分だった。

 翌朝,ヴィンとキャロルが新婚旅行から帰って来た。ミニヴァー邸は前夜の爆撃で損傷を受けたが,新婚夫婦を迎えた家は幸福に包まれた。その日の午後,ベルドン邸の庭で花の品評会が開かれた。審査の結果バラの1等賞はベルドン老夫人の花に決まったが,老夫人は1等賞を駅長に送り,皆の喝采を浴びた。折しもその時,敵機来襲の知らせが届いた。ヴィンは直ちに飛行場に馳けつけ,戦闘に飛びたった。ミニヴァー夫人とキャロルはヴィンを飛行場へ送った帰り道空襲に合い,キャロルは機銃掃射の弾に射たれた。知らせを聞いてヴィンはミニヴァー家へ馳けつけたが,キャロルは既に息をひきとった後だった。

 半壊した教会で,牧師は皆に空襲で命を失くしたキャロルと駅長への追悼を述べ,現在続いている戦争が民衆の戦いであり,全力をもって戦うことを説いた。皆が讃美歌を歌う中,飛行機が戦場へ向けて飛びたっていった。
 
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