ゴールドウィンに所属するウィリアム・ワイラーが,MGMに招かれて監督した戦意高揚映画である。脚本は,ジャン・ストルーザーの原案をもとに,アーサー・ウィムペリス以下4人の英国人脚本家が執筆した。物語はロンドン近郊の田舎に住むミニヴァー一家をめぐる日常的エピソードの中に,市民生活の平和を脅かす戦争の脅威を描き,市民参加の戦意が鼓舞されている。戦時映画の常とは言え,戦時の熱狂が過ぎると,熱狂下では高い評価を受けながらも,時と共に忘れ去られてしまう映画が少なくない。ちなみに,映画史家のジョルジュ・サドゥールは次のように書いている。「アメリカ映画の幾人かの監督は戦時下にあっても因襲的な英雄主義よりも親しみのある人間性を描こうとした。この態度がアメリカでは傑作と賞賛されたウィリアム・ワイラーの『ミニヴァー夫人』(42)の並はずれた成功を確保したのだ。この映画は,歴史的再現場面で撮影所を感じとった英国,そのプロパガンダがすでに時代遅れとなった頃公開されたフランスではそれほど高く評価されなかった。」(『世界映画史』丸尾定訳)
サドゥールも伝える通り,この作品は,当時のアメリカでは相当の賞賛を受けたようである。それは,たとえば1942年度のアカデミー賞をほぼ独占したことにもあらわれている。『ニューヨーク・タイムズ』評(1942年6月5日付)では,「これを,かつてつくられた最も偉大な映画の1つと呼ぶのはたぶん早急にすぎる」と断ってはいるものの,「確かに,現在の戦争についてこれまでにつくられた最も素晴らしい映画である」という手ばなしの褒めようである。またこの批評では,これが「制服をまとった兵士についての戦争映画」でなく,「戦場での戦い」のない戦争映画であることが事の他強調されており,これもサドゥールの指摘を裏付けている。
ワイラー作品の美学的価値を賞揚したことで知られるアンドレ・バザンは,エッセー『ウィリアム・ワイラー,または演出のジヤンセニスト』(1948)で,この作品について次のように述べている。「『ミニヴァー夫人』のシナリオは,結局のところ『我等の生涯の最良の年』のシナリオにくらべてそれほど劣っているわけではなかったが,それは,ワイラーが彼独自の様式上の問題をそこで自らに課することなしに,手際よく作りあげられた。ところが,その結果はむしろ人を失望させるものだった。」(『映画とは何か』邦訳第2巻,小海永二訳)
同じ戦争という現実を扱いながらも,『我等の生涯の最良の年』(1946)と比べて,この作品が演出面で大きく隔たっていると感じさせるのは,現実性が希薄なことである。現実性の欠如は1つにはプロパガンダ映画の宿命でもあろうし,それ以上に,MGMを〈夢の工場〉ならしめる箱庭的セットの非現実的外観が,ワイラー流の演出を実現させる妨げになったのは容易に推察できることである。とは言え,ワイラーならではと思わせる演出は随所にみられる。特に登場人物の周囲がにわかに緊迫の度を加えて以後の室内場面での〈空間的深さ〉の利用に本領が発揮されている。
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