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ミッチーのほぼ日記

カヴァルケード(1933) Cavalcade

カテゴリ: 映画作品解説
(登録日: 1985/01/09 更新日: 2024/02/22)


20世紀フォックス 白黒 110分
監督 フランク・ロイド 脚本 レジナルド・バークレー 原作 ノエル・カワード
出演 ダイアナ・ウィンヤード,クリーヴ・ブルック,ウナ・オコナー、他

この解説は、『ワセダ・フィルム・ライブラリー(アメリカ映画・トーキー期 1930―1949)』(1985年,早稲田大学大学院文学研究科)掲載原稿を転載したものです。(執筆:前川道博)
 

解説


 原作は,英国の劇作家ノエル・カワードの戯曲である。20世紀フォックスはその映画化に際し,英国劇壇の名女優ダイアナ・ウィンヤードをはじめ,英国人を多く起用して英国的色彩を強く打ち出した。

 脚色は英国の劇作家で政治家でもあるレジナルド・バークリー,監督は英国生れで後に渡米して映画界に入り,多くの大作を手がけて成功したフランク・ロイドである。この超大作の演出に当って,ロイドは助監督,台詞監督以下200名のスタッフを指揮し,撮影前に8ヵ月の準備を行ったと言われる。ロイドは1928―29年度の『情炎の美姫』に続く監督賞受賞で大監督の地位を揺ぎないものにした。

 公開当時,この作品は演出・演技面に比して,脚本の粗大さが不評を買ったようだ。たとえば岸松雄は,「夥しい年代史的なエピソードをとりあげながらその核心を掴もうともせず,この脚色者は慌立しくそれらのエピソードを景的に体積していったに留まっていたのである」と劇構成の難点を指摘しながらも,「但し,部分的にはフランク・ロイドの温味のある監督手法の良さが随所に窺える」と演出を評価している(『キネマ旬報』1934年2月1日号)。

 長い準備期間が設けられただけあって,この作品には様々な演出上の工夫をみることができる。すなわち,物語の大きな時間経過に即して,時おり挿入される騎馬行進(カヴアルケード=原題)のライトモティーフ,1914年から1918年にかけての第1次大戦の惨禍とその経緯,戦後の新たな混乱状況を示すモンタージュ・シークウェンス,群衆シーンの多用,英国の歴史と時代の雰囲気を伝えるための豊かな音楽の挿入などである。こうした演出上の配慮にもかかわらず,それらが必しも望み通りの効果をあげえず,また首尾一質しなかったのは,劇の構成にそもそも難があったためであろう。

 それでも,家族の物語と祖国の歴史とが絡み合った劇構成と,入念ともいえる演出は,画面内および画面と音声の間の映画的空間に,出来事の同時進行性の現実感をもたらしている点で,トーキー初期における映画演出の一つの成果を示している。
 まず画面内構成では,家族の物語の劇空間と歴史的状況を示すその外延空間が,〈前景/後景(屋内/屋外)〉の関係で並行的に提示される。たとえば,出征する夫ロバートを妻が見送る港の場面のように,並行する二空間がスクリーン・プロセスによって構成される場合もあるが,このような並行提示は,窓=バルコニーによって仕切られる〈マリヨット家の2階室内/街路>の空間構成において特にすぐれた効果を生んでいる。

 マリヨット家2階の空間は,窓=バルコニーを通して家族の物語が祖国の歴史的状況と直接的に関り合う中心的な劇空間として設定されているが,その空間が有効に機能するのは,主に音声を通して外的状況が家族の物語に関わってくるからである。たとえば,次第に近づいてくる行進の音と群衆の歓声が路上の光景を示す以前に長く提示され,そうした音の接近は物語と歴史の縫合機能だけでなく,その時代のそこに居合わせているという臨場感を生み,時代の濃密な雰開気を醸し出すのに役立っている。『ニューヨーク・タイムズ』評(1933年2月23日付)でも,「最初の方のエピソードにおいて,時おり路上の馬のひずめの音が聞え,また時として旧式な四輪馬車の音が聞える」と,音声が時代の雰囲気とその変化を刻々と伝えている点に着目している。
 

物語


 「これは,妻であり母である女性の眼を通して見た祖国と家族の歴史の物語である。」(冒頭字幕)英国のロンドン,1899年の大みそかの晩に物語は始まる。名門の流れを汲むマリヨット家の当主ロバートと妻ジェーン,執事のアルフレッド・ブリッジェスと妻エレンは幸福な日々を送っていたが,その年に起こったボーア戦争の噂に不安を感じていた。夜,マリヨット夫妻は,エドワード,ジョーの2人の息子を寝かしつけ,我が子等に平和と恵みがあるように祈った。時が1900年を迎えると,トラファルガー広場では群衆が新年を祝った。

 まもなく,ロバートは市民義勇軍の士官としてブリッジェスと共に戦地へ赴くことになった。出征の日,2人は家族と別れを惜しんだ。出征兵士のパレードに湧く街路。港は人の波で埋まり,軍用船に乗込んだ兵士たちは「蛍の光」を合唱しながら祖国を後にした。

 戦時色の濃くなったロンドンの劇場では,兵服姿の女たちによるオペレッタ『ミラベル』が上演されていた。そこへマフェキング救出の報が伝わると場内は一斉に湧き,「蛍の光」の大合唱に包まれた。やがて戦争は英国の勝利のうちに終結した。兵士たちは万雷の歓呼に迎えられながら凱旋し,ロバートとブリッジェスも無事帰還した。折しもその日,ヴィクトリア女王の訃報が伝えられた。ほどなく女王の葬儀が営まれ,人々は葬送行進の列を見送った。マリヨット家の人々も,ベランダから女王の死を悼んだ。ロバートは戦地で各地に転戦し,英国をマフェキングの寵城から救出した勲功により,貴族に列せられた。マリヨット夫妻にとって,晴れやかな舞踏会に列席できるのはこの上ない栄誉であった。

 時は流れた。戦争の後,ブリッジェスは主家を辞して妻とロンドンで酒場を営んでいた。生活は豊かになったが,夫は酒におぼれ,エレンを悲しませていた。その日も娘のファニーがダンスを練習していると,夫が酔って帰宅した。妻の逆鱗に触れたブリッジェスは街路へ出てさまよい歩くうち,自動車に撥ねられた。夫の死体に泣き崩れるエレンの傍で,父の事故を知らないファニーは楽隊の演奏に合せ1人踊っていた。

 1909年,縁日で賑う海岸。ヴォードヴィルの舞台ではファニーが観客に紹介され,ダンスを披露した。一方,海岸のはずれでは成人したエドワードが婚約者のエディス・ハリスと逢瀬を楽しんでいた。やがて結婚した2人は,悲劇が待ち構えているとも知らず,ハネムーンの途上,タイタニック号に乗り合わせた。

 1914年,英国は世界大戦に巻き込まれた。ロバートは,次男のジョーと共に戦線へ送られた。度重なる戦争と家族の出征にジェーンは悲嘆の色を隠すことができなかった。英国でも有名なダンサーとして名を馳せるようになったファニーは,その夜,ナイト・クラブに出演した。兵服姿のジョーは,彼女がファニーと気づくと,楽屋に先回りして彼女を驚かせ,思いがけない再会に2人は喜んだ。

 戦争は長期化し,1918年に至るも終結せず,その間幾万の兵が戦場を行進しては倒れていった。ファニーはその間もステージに立っては脚光を浴びた。再出征の日,ジョーはファニーの楽屋を訪ね,2人は一時の恋に酔った。駅へジョーを見送りに来たジェーンは,汽車が発つと,言葉もなく茫然と立ちすくんだ。ジョーは,フランスのサン・ジャック・ドードヴィル駅に降り立つと,そこに父の姿を認めた。二人は思いがけない戦地での再会に一時の安堵を覚えるが,ジョーは直ちに戦線へ赴かねばならなかった。

 戦争は未曾有の犠牲を代償にし,遂に終結した。娘ファニーと旧主家の次男ジョーとの恋愛関係を知ったエレンは,戦争終結のその日,久方ぶりにマリヨット家を訪ね,ジェーンに2人の結婚について相談した。2人が愛し合っているならぱと,ジェーンがその申し出を受け入れた時,彼女の許にジョーの戦死を伝える電報が届いた。その夜,母国の勝利に酔った群衆はトラファルガー広場を埋め尽し,行進曲「威風堂々」が戦争の勝利をたたえる中,ジェーンは群衆に揉まれながらただ茫然と小旗を振り統けた。

 戦争は世界に幾多の傷跡を残した。戦争で不倶になった兵士たち,墓地に眠る幾万の屍,軍事裁判……。そして戦後社会の新たな混乱の波。コミュニスト,平和主義者,牧師等はそれぞれに独自の持論を述べて世界を救済しようとした。

 時は流れて1932年の大みそかの晩。愛するジョーを失ったファニーは,とあるナイト・クラブで「20世紀ブルース」を歌う。人々は万感胸打つ思いで歌に聞き入った。その頃,2人の愛児に先立たれたマリヨット夫妻は年越しの乾杯を静かに挙げていた。心は悲しかったが,2人は愛児が払った犠牲で今日の平和がもたらされたことを思い,屋敷のベランダから夜景を眺めた。ロンドンの夜空に除夜の鐘が鳴り渡った。
 
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