沿革
この地は元禄4年(1701)、後の常陸笠間藩五万石の藩主、本庄印藩守宗資が下屋敷として拝領し、この庭園は、宗資が築造したと伝えられている。中央に「心」字をかたどり、隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる潮入り池泉廻遊式庭園である。 明治になって旧備前岡山藩主池田章政邸となり、明治24年(1891)安田財閥の創始者初代安田善次郎の所有となった。安田翁の逝去後、家屋及び庭園は大正11年(1922)、東京市に寄付された。 大正12年(1923)9月1日の関東大震災により、壊滅的な被害を受けたが、残った地割り石組みを基にして復元工事を行い、旧安田邸跡地は寄付者の名を冠して「旧安田庭園」と命名した。昭和2年(1927)に民間篤志家の寄付による和風庭園として初めて一般に公開された。 昭和42年(1967)、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的な改修工事を行い、昭和46年(1971)に名園といわれた往時の姿に復元した。 平成8年(1996)、明治時代の代表的な庭園として、東京都の「名勝」に指定された。その後、施設の老朽化が著しくなったので、貴重な文化財庭園を後世に残すため、墨田区では平成17年(2005)に「旧安田庭園整備保存管理計画」を策定した。この計画に基づき、貴重な文化財である旧安田庭園を保護し、さらなる活用に努めている。
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