回向院と言えば、『忠臣蔵』で吉良邸討入の際に登場する重要な寺院です。回向院が赤穂浪士の吉良邸討入の際、どのように関わっていたのかは数百年経った現代においてもなお興味深い話です。
江戸の下町が徳川家康によって都市計画されでできた都市であることは知られていますが、埋め立て地であるが故の地盤の弱さ、下町という密集地故の防災の弱さといったことがこの地域のたび重なる被災の歴史を作り出してきました。それが回向院の説明板に記されています。
明暦大火で10万人、安政大地震で2.5万人、関東大震災で10万人、さらに東京大空襲という犠牲者の数は想像を絶するものです。回向院がそれらの死者を弔う寺院であることを知りました。
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