旧岩崎家住宅は三菱財閥の創設者であった岩崎弥太郎の息子・久弥が建てた自宅の建物です。1896年に竣工し、現在は重要文化財に指定されています。
湯島天神前の坂道を下ると不忍池に出ます。不忍池の手前の狭い道を入るとそこに旧岩崎邸のある土手が見えてきます。これまで池之端にはあまり来る機会がなく、旧岩崎邸庭園も初めて訪れました。
江戸切絵図を見ると、江戸時代、岩崎邸は越後高田藩の上屋敷であったことがわかります。
三菱財閥の邸宅ですから、当時、並はずれた財力のあった富豪でも望みえなかったような壮麗な邸宅だったのではないでしょうか。邸宅というよりはパレスと呼ぶ方がふさわしい。欧化政策を取っていた当時の洋館が現存していることも貴重なものです。関東大震災と東京大空襲で焦土と化した東京の中にあって、大震災の揺れにも耐え、大火災の影響も受けずよく残ったものです。社交は洋館、生活は和館という折衷となっています。当時の富豪たちがこの折衷スタイルをモデルとして踏襲し近代日本の文化を創り上げていったのではないでしょうか。
建物が残っていることによって、100年以上昔の明治という時代、19世紀の日本が体感できることも得がたいものです。
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