真田幸村が大阪冬の陣で陣を敷いた真田丸は、その想像復元図(注)を見ると半円状に突き出た土手のように見えます。その先端部の推定位置が真田山小学校の辺りです。
その向かいは土手下の場所になり、現在はその土手下の位置に天王寺スポーツセンターがあります。スポーツセンターの辺りは真田山公園になっています。スポーツセンター側の低い位置から真田山小学校を見ると土手の上に校舎が建っているのが見えます。その土手上が真田丸です。真田丸の土手下には空堀が掘られていました。現在の土手よりもさらに深く彫り込まれていたわけです。あなたには大阪冬の陣の時の真田丸の土手が想像できますか?
真田丸の真ん前は崖下の土手ではありますが、全体が緩やかな坂道となっていました。この辺の全体の地形は緩やかな傾斜をしており独特です。
(注)『歴史群像シリーズ 真田幸村と大阪の陣』(学習研究社)中の「再現・真田丸」(中井均氏監修)(72-73頁)、「大坂城惣構え推定図」(中井均氏作成)(74頁)
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