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ミッチーのほぼ日記

[13/12/14]南割下水と津軽家上屋敷跡

地域: 東京都
(登録日: 2015/02/08 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2013/12/14 東京都

墨田区亀沢二丁目の緑町公園は津軽家上屋敷跡です。「江戸切絵図」を見ると、緑町公園の全区画が津軽家上屋敷だったことがわかります。また現在、北斎通りと称する道筋がかつては「南割下水」と呼ばれる大きな水路であったことがわかりました。幕府の御米蔵にも接しており、舟運にも適した地の利のよい場所に立地していたことがわかります。
 

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江戸の町
南割下水 7


 明暦の大火後に、幕府は本所深川の本格的な開発に乗り出します。まず着手したのは、堅川、大横川、北十軒川などの運河と掘割の開削、さらには両国橋の架橋です。掘割の一つが南割下水で、雨水を集めて川へ導くために開削されたものです。現在の春日通りにあたる北には北割下水も掘られました。
 割下水の幅は一間ないし二間(約三・六メートル)足らずで、水も淀み、暗く寂しい場所でしたので、本所七不思議の「津軽屋敷の太鼓」「消えずの行灯」「足洗い屋敷」の舞台にもなりました。
 南割下水は昭和初期に埋め立てられましたが、この付近で葛飾北斎が生まれたところから、今では「北斎通り」と名を変えています。この辺りには、三遊亭円朝や歌舞伎作者の河竹黙阿弥も住んでいました。


両国物語
津軽の太鼓・津軽家上屋敷跡 8


 南割下水に面した弘前藩主・津軽越中守の上屋敷には、火の見櫓がありました。
 通常、火の見櫓で火災を知らせる時は板木を鳴らしますが、この櫓には板木の代わりに太鼓が下がっていて、その太鼓で火事を知らせていました。なぜこの屋敷の櫓だけに太鼓が許されていたのかは誰も知らず、不思議なこととされていました。これが本所七不思議の一つ「津軽の太鼓」の話なのです。
 七不思議とはいいますが、民話なので伝わり方によって内容もまちまちで、数も七つと決まっているわけではありません。
 この「津軽の太鼓」には「越中守屋敷の火の見櫓の板木を鳴らすと、奇妙なことに太鼓の音がする」という話も伝えられています。
 

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