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ミッチーのほぼ日記

[12/10/07]真田幸村と大阪の情報学/視点とマップ

地域: 大阪府
(登録日: 2014/09/28 更新日: 2024/02/22)

【CC-BY-NC-SA】

大阪へ行くついでに「真田幸村と大阪の情報学」なる歴史・地域の個人的な体験学習を企画してみました。

幸村のゆかりの地をまずは探検してみることにより、土地勘を掴み地域資源(幸村ゆかりの地)がどんなものかを知って、それがどういう物語になるのか、どのような観光資源的価値を生み出す場所や道筋があるのかを描き出せるようにすることがこの情報学のねらいです。「真田幸村と大阪」のメタ構造を作ることが第一段階の目標です。ここで大切なことは第一印象です。2度目以降は感覚が鈍るので、初回の探訪で感じたことを風化させることなく、理解を深めるための最初の蓄積とします。記憶は変容するので、見聞を記録に留めておくことが大切です。この企画はその備忘録のようなものです。

さて、真田幸村と大阪の関係は何でしょうか?

大きな視点は「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」における真田幸村の活躍、冬の陣の真田軍の出城となった「真田丸」、夏の陣の陣となった茶臼山です。他には幸村と何らかの形でゆかりのある場所。関連の資料や展示などは博物館などにあるかもしれません。

大阪城は上町台地と呼ばれる細長く連なる台地にあり、その台地の縁をたどることが真田丸の存在を確認する上での手がかりとなるようです。

攻めどころは「大阪城」ではありません。何と言っても最大のターゲットは「真田丸」です。「茶臼山」は冬の陣では敵方の大将・徳川家康の陣地となり、夏の陣では真田軍の陣地となったことが知られています。特に「真田丸」は場所が残っていないためにその場所を特定し、現地に赴いて探索することが「情報学」の戦術となります。

そこで参考にした資料は手元にあった真田幸村の極めて入門的な書籍です。
(1)『真田幸村と大坂の陣』学研
(2)『真田氏史料集』上田市立博物館

幸村の大阪ゆかりの地を詳細に紹介した資料は意外にありませんでした。まずは何も知らない「超初心者」段階からアプローチしていくわけなので、いきなりは欲張りません。大阪探訪に最も必要と判断した資料は(1)に転載された「大坂城惣構え推定図」(中井均氏作成)です。
 


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記録日: 2012/00/00



右側の地図がそれです。大阪城の三の丸がいかに広いかがわかります。真田丸はさらにその外側に掘られた空堀に接して築かれた出城です。現在、これがどの位置かは現在の地図と重ね合わせて理解しておく必要があります。そのためGooleMapsをカラープリントして現地ではそれを参照するという方法をとりました。
 


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GoogleMapsのプリントがどれほど役だったかは計り知れないものがあります。ただしプリント地図は詳細さに欠けるため、居場所の確認のためスマホのGoogleMaps(特にGPS)で補完しました。

プリント地図には真田丸と空堀の位置を手書きで描いておくと現地で不確かになることはありません。

探検先はあらかじめはっきりしているところを簡潔にリストアップします。
<真田丸跡>
・三光神社 真田幸村の銅像と抜け穴がある
・真田山公園 真田丸の跡に重なっている
・真田山町 真田丸の近くの町名
<茶臼山周辺>
・茶臼山(天王寺公園) 家康と幸村の陣地になった場所
・安居神社 幸村の銅像や碑がある
<博物館など>
・大阪歴史博物館 何が展示されているか参考に見る
・大阪城 時間がないのでパス・キる
これだけ見るとすればほぼ1日かかりそうです。

「大坂城惣構え推定図」を作成した中井均氏が研究上のキーパースンのお一人であることがわかります。歴史資料などを調べることは次段階の課題であることを意識して、ともかく現地に赴きます。

最初の目的地を三光神社とします。最寄りの駅は玉造駅です。私はその時、大阪ステーションシティにいたので大阪駅からJR大阪環状線で玉造駅へ向かうことにしました。
 
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