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ミッチーのほぼ日記

[14/08/11]会津藩駐屯地跡(伏見御堂)

地域: 和歌山県
(登録日: 2014/08/30 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2014/08/11 京都市

この場所に「会津藩駐屯地跡(伏見御堂)」という石碑が立っています。説明板があるのですが、とても読みにくい。画像から説明文を採録してみました。


会津藩駐屯地跡(伏見御堂)

 伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しました。本道は徳川家康の居城・向島城の殿舎の遺構を改築したものと伝えられ、大正4(1915)年に刊行された『京都府紀伊郡誌』に、寺域は徳川家康の寄進によるもので、蓮池を埋めたことから蓮池御坊とも呼ばれたと記されています。ここを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、本願寺から東本願寺を分派独立することに成功しました。
 幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒約200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見御堂を宿陣としました。翌3日、薩摩藩との間で小競り合いをしている最中の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、伏見奉行所を攻撃したことから伏見の町でも戦いが始まりました。本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあったともいわれ、建物は大きな損害を受けたと伝えられています。そのため、創建当初、建物は東向きにつくられましたが、明治18(1885)年に南向きに縮小して建て替えられました。平成2(1990)年に建物は老朽化のために取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門が残されています。
伏見観光協会
(社)伏見納税協会 青年部会
平成21年12月 建立


 

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