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ミッチーのほぼ日記

[14/08/10]一念坂と竹久夢二寓居跡

地域: 京都府
(登録日: 2014/08/20 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2014/08/10 京都市

京都霊山護国神社から参道を下ってきて、多くの人々がいる風情のある道筋に入ってみました。この道筋が「一念坂」ということは後から知ることになります。この道筋、西側には知恩院、高台寺、八坂神社、東側には清水寺、南側には法観寺(八坂の塔)があり、歴史的な寺社をつなぐ観光スポットであることがわかります。

参道からの入口には東山周辺のマップがあるのですが、手前の樹木が邪魔して必要とする情報は得られませんでした。

「一念坂」というネーミングが面白い。「産寧坂(三年坂)」が最初にあり、後にその隣の坂を「二寧坂(二年坂)」と呼び、さらにその一つ手前を「一念坂」としたらしい。1992年の町並みの整備の時に名づけたようです。

この一画では「竹久夢二寓居跡」が目に付きます。その前に説明板が立っていました。これも文字が読みにくくなっています。あまりに読みにくいので、説明を採録してみました。一部判読できない部分があります。この説明によると、夢二と彦乃が京都で暮らすようになる直前の数ヶ月間、夢二が一人でここに暮らしたということのようです。

竹久夢二寓居跡
明治、大正、昭和の三代にわたり波乱の人生を送って、不世出の詩人、画家、竹久夢二は、大正三年秋頃笠井彦乃と出会い、運命的な恋におちた。彦乃は、東京日本橋の紙問屋の一人娘であり、彼女を愛する父は、後継者であった娘の恋に反対であった。
大正四年に結ばれた二人は互いに?(判読不可)と呼びあいつつ人目を忍ぶ逢瀬を重ね、ついに、大正五年京都に逃れた夢二を彦乃が追うようにして訪れ、短かくも至福の日々をこの地で送ったのである。
夢二には、彦乃が訪・黷驍ワでの数ヶ月間、この家ですごしている。

<参考サイト>
京の坂道 一念坂 二寧坂
 

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