「史跡 茶臼山及河底池」の碑が立っていました。これにより、ここが史跡だとわかります。面白いことに、ここは古墳でもあるわけですが、古墳が史跡になっているわけではない。このことは茶臼山の価値を解きほぐす上でも面白い扱いです。古墳よりも大阪の陣=古戦場が上である、という史跡の評価がされているということです。
それはさておき、碑を除くと、他には何もない、という非常にエンプティーな史跡であることにご注目ください。その中に「大阪夏の陣」の布陣図が立てられていました。これは明らかに新しい。裏側を見ると、平成20年4月6日、茶臼山を古戦場跡にする会などが寄贈者となり、古戦場解説板、大阪夏の陣天王寺口布陣図、真田六文銭旗2本を寄贈したと記されています。もっと史跡としてしっかりと何かがあってよさそうなものですが、市民有志がこういう説明版を立てたということも微笑ましい話題です。幸村様の聖地・大阪において茶臼山がどの程度に位置づけられているのかを知る上でも「百聞は一見にしかず」でした・B
|