上田市の町の由来
鷹匠町
真田氏によって造られた城下町のうち、 城の南東に鷹匠の住居として造られた町。
真田氏の後、仙石氏の時代、寛文3年(1663)の記録に、 「鷹匠其の他、扶持人の屋敷42軒」と記されている。
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原町
天正11年(1583)に、真田昌幸が上田城を築き城下町造りを始めました。
このとき、真田氏と縁の深い原之郷(現真田町本原)から住民を移住させて造った商人町。
また、原町は海野町とともに、上田城下町のうち最初にできた町です。
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横町
海野町が発展するにつれて、旅籠屋・商家職人などが増加したために、海野町から南に折れた 街道筋にできた横の町から、横町と呼ばれたことに由来。
この町は北側にも延びて鍛治町に続く。 横町と鍛治町には寺が多く、城下町の防備のためといわれている。
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大手町
天正11年(1583)上田城築城のあと、大手口から二の丸の道筋に造った武家屋敷の町で、 新参町と呼ばれ、仙石氏、松平氏時代には、 上級武士が住んでいた。
戦後になって大手町と改名された。
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紺屋町
天正11年(1583)上田城築城のあと、真田氏と縁の深い海野郷(現東御市)から、 紺屋(染物屋)を移して造った町。
宝永3年(1706)には、紺屋が10軒あった。 後に、上紺屋町と下紺屋町とに分かれた。
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房山(ぼうやま)
房山(望山)は古くは東太郎山のことを指したが、 永正3年(1560)には太郎山麓一帯の地を房山と呼んでいる。 天正11年(1583)上田城築城時、真田昌幸が城下囲八邑(村)の一つとして重視し、 屋敷割りを行い、山麓に散在する住民を移住させたのがこの町の始まりです。
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鎌原(かんばら)
真田氏が城下町造りを行い、さらにその周囲に城下囲八邑(村)の一つとして、 屋敷年貢を免除し太郎山麓に近い新屋等から移して造った村。
上田城築城時の古地図にも、新鎌原と記されている。
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