【2016/04/22】大手門から上田城へと続く道、大手町
大手町
武家屋敷が立ち並んでいただけあって、道がまっすぐ伸びていた。 この道で、武士が行き交う姿を想像しながら歩くのも面白い。どんな表情を持った町だったのだろうか。
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大手町説明板
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記録日: 2016/04/22 上田市
大手町
天正11年(1583)上田城築城のあと大手口から二の丸に いたる道筋に造った武家屋敷の町で新参町と呼ばれていたが、 仙石氏・松平氏の時代には上級武士の屋敷が並んでいた。 戦後になって大手町と改名した。
(大手町の説明板より)
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上田藩文武学校 明倫堂
文化10年(1813)創立。 松平忠学(たださと)が上田城下、新参町に設置。 のちに演武所が設けられ、文武学校と改称した。 現・上田市立清明小学校、跡地には上田市立第二中学校が設置されている。
松平忠学(まつだいらたださと)(1788−1851) 上田藩の第五代藩主。 紅葉山火の番、桜田御門番などを歴任した。
(Wikipediaより参照)
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撮影した写真
▼01 大手町・上田市役所 |
▼02 大手町 |
▼03 大手町 |
▼04 大手町 |
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▼05 大手町・上田市立第二中学校 |
▼06 大手町 |
▼07 大手町 |
▼08 大手町の通りにいる真田十勇士 |
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▼09 大手町・上田市立第二中学校 |
▼10 第二中学校は元上田藩文武学校明倫堂跡 |
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