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[1983]今日と明日の科学技術 おわりに

基本情報


「今日と明日の間の科学技術 おわりに」目次
著者:端山貢明

1 科学技術の視点
2 ヒューマンシステムにおける科学技術
3 おわりに

(端山貢明編『今日と明日の間の科学技術』、1983年、みずうみ書房、pp.307-323.「おわりに」)
 

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記録日: 1983/09/25 『今日と明日の科学技術』1983年


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今日と明日の間の科学技術 おわりに
端山貢明

1 科学技術の視点

 私達は、日常殆ど気が付かないうちに、高度な科学技術の成果に取り囲まれ、それを利用しながら、昔だったら不可能な生活を何気なく過ごしている。現代の科学技術の成果は、社会のあらゆるところに浸透し、家庭の中までも満たし、社会の質、生活の質、ものの考え方にまで大きな影響を与えている。
 このように、この私達の生活環境は、科学技術に取り囲まれていながら、実際にはその成果と外観のみと接触し、その背後にある科学技術の本質には殆ど触れることがなく、また仮りに触れても、それを理解することも殆ど不可能な状態にある。
 また科学技術自身、非常に細分化されたところで高度に専門的な開発研究が行なわれ、専門家ですらすぐ隣りの分野の技術についても、すでに理解が困難であるというような極度に専門化した状態にあり、その全体像は非常に把握しにくいものとなっている。
 実際には、これらは、相互に複雑に関係し合い、以前のように明確な分野として分離できない状態で、極度に複雑な全体を作り上げているのであるが、今問題となるのはこの全体像を明確に把掘することが、極めて困難になっていることである。
 科学技術が日常生活、社会活動の細部まで入り込み、社会の質、生活の質に日々大きな影響を与えている一方で、その全体像が把握しにくい状態にあるということは、仮にそこに何らかの問題が生じた時に、これに適切に対処する方法を知らないということであり、科学技術が社会に与えている大きなメリットの背後に、それと同じ程度の大きな危険が秘められていることを示唆している。

 このことは、すでに一九六〇年代から七〇年代にかけて私達は一度経験している。六〇年代の高度な経済成長を支えた重化学工業の爆発的な発展は、社会的繁栄と併行して日本全国各地に公害を発生させることになり、テクノロジーが持っている両面性を人々の前に現わしたのであるが、この時社会はこのテクノロジーに対する十分な理解を持たず、この時現れた問題に適切に対処する方法を知らなかったために、公害は社会の多くの側面で大きな影響を与え、深い人間的被害を残す結果となったのである。
 ここで最も重要な点は、科学技術がこの時すでに非常にわかりにくい状態になっており、技術の推進者も含めて私達皆が、その時の新しい科学技術の社会への適応における評価選択の基準を明確に持っていなかったというところにある。
 この経験の結果、社会は新しい科学技術の発達に対して、より敏惑に反応するようになり、社会、人間、環境との整合性をその前提とする慈滋が強くなって行ったが同時にその一部は、反科学技術慈識となって育って行ったのである。
 七〇年代に入ってから、特にこの傾向は強くなり、新しい科学技術、産業技術の環境は著しく厳しいものとなった。ここで科学技術、産業技術の開発は、従来の拡大一方の開発から社会環境や自然環境との整合性を前提とした開発へと、その方向が転換されるようになった。
 また一九七三年の第四次中東戦争を契機に起ったエネルギーを中心とする社会的経済的混乱の結果、ここでも大量の石油から大量の電気や熱、または化学製品を生産し消費する形から、より小規模な適正成立の可能な技術(ソフト・エナジー・パスのような概念も含めて)への転換が計られるようになり、自然エネルギーを含む新しいエネルギー技術やより効率の高い素材、素子等の開発がすすめられるようになった。

 七〇年代には、このような背景に基づいて新しい視点による科学技術の開発が行なわれ、従来の技術もこのような方向へ順次転換、変質していく方向が見られるようになった。
 この時期に開発の進められたこれらの技術のうち多くは、今社会的な適用が始められ、今後急速に社会的に大きな影響をもたらし始める状態にある。
 そして、それらは従米の技術が工場や研究室等、人々の生活の外側にあったのに対してより広く人々の生活の内側に入り込んで、その生活をサポートするものとなっていくため、その影響は従来のテクノロジーとは違う意味で、より広く大きく深いものになるものと考えられる。
 ここで私達は、かつて従来の技術と社会との間で起こった不整合が、この新しい技術において再び起こることを避けるために、その影響が具体化する以前に、新しい技術がどのようなものであり、どのような影響を社会にもたらすものであるかを、よく理解しておく必要がある。そして、この理解に基づいて、新しい技術の社会への適応における評価、選択を的確に行なわなければならないのである。
 しかし現時点の科学技術は、六〇年代のそれに比べて、更に高度なまた更にわかりにくいものとなっている。特に、その全体像をとらえることは、前にも述べた通り非常に困難な状態にあるが、また同時に社会的にもこれらをよりよく知ろうとする意識が大きく芽ばえ始めているのも事実である。
 このような意味から、私はこの問題をより多くの人々とともに考えるために、新しい技術分野の専門家と一般の人々との情報の交流が必要であると考え、七〇年代の初めから公的機関、科学系博物等と共に、科学技術情報の交流の活動を行なってきたが、その―つの側面は朝日カルチャーセンクーの講座の中で「今日と明日の科学技術」というクイトルのもとに実現された(一九八一年四月〜六月)。
 当時この購座は大きな反響を呼び、多くの参加者を得たが、これはその当時から相次いで発刊された「ニュートン」「OMNI」等のわかりやすい科学雑誌が広く一般に受け入れられたという方向にも見られるように、その頃一般に新しい科学技術に対する関心と問題意識がたかまって来ていたことを物語っている。
 その後、参加者よりの強い要望もあり、またこの講座の内容をより多くの人々に知ってもらう必要が感じられたため、これを一冊の本としてまとめることとなり、この本が出来上がることとなった。

2 ヒューマンシステムにおける科学技術

 この講座、つまりこの本の日標とするところは、ここまで述べて来たような科学技術と社会の閲係を整合性のある状態で成立させる基礎となる科学技術意識が、社会意識として人々の間に温和に醸成されて行く端緒を作ることであった。これにより新しい科学技術は、必要以上の反対及び必要以上に強い推進によらず、温和に整合性をもって効果的に社会化されて行くことが可能になることを願ったのである。
 このため、ここではその対象を今日と明日の間、つまり現在すでに産業化され社会化されている従米の技術ではなく、またその実現と社会への適用がいつになるかわからない未来の技術でもなく、今社会に現われ、その効果を現わし始めようとしている状態にある技術群に限定し、その在り方とその社会的影響等を考えてみることにした。
 また、科学技術を考える時にその位置付けを、科学技術の体系の側からではなく、それを必要とした人間とその営みのシステムの側から行なうこととした。
 技術とは、一つの言い方をすれば「変換の方法の体系」である。あるものを別な状態、別な物質に変える、例えば物質をエネルギーに、エネルギーを運動に、または粘土を陶器に変えることをする体系的な方法の集まりなのである。
 この技術の最も原始的な形は、人間にとって食べることのできないものを、食べることのできる状態に変える方法として現れている。
 石器時代の鋭利な石のナイフや骨角器等は、人間の歯や手の力では直接食べることのできない対象(厚い皮膚を持った動物や固い殻をかぶった穀物等)を、食べることのできる状態に変換するための非常に効果の高い技術であった。また、弓や槍等は強暴であったり、速くかけるために、人間の食べるものの範囲になかった多くの動物を、人間が食べることのできるものに変える機能を持った技術ということができる。これは、言葉を変えれば、胃袋に対応する外部空間を拡大する技術である。
 農業の技術も、同様にこれを著しく拡大したものである。
 ここにある技術の―つの本質は、人間に関係のなかったものを人間にとって関係があり。また人間に利益をもたらすものに変換するというところにある。
 その後の工業技術、運搬技術、情報技術等の、あらゆる技術について考えても、この本質は一貫してそこに求められているものであり、これらの歴史を通じての長い技術開発のおかげで、私達の環境つまり人間に関係のある空間は著しく拡大し、胃袋のみならず皮膚面上に並ぶすべてのI/O(Input Output)機能の外延、例えば視覚的機能、聴覚的機能、触覚的機能及び出力機能としてすべての筋肉的機能、表現的機能に対応する技術が、私達の周辺を満たしその外延の一部はついに太陽系の外にまで及ぶようになっている。
 このように技術は、人間の能力の外延を成すものであり.人間の必要性に対応する人間に関係のある空間を拡大して行く機能を持つものであるが、ここでこの拡大の目標とするところを少し考えてみることにしよう。
 従来の技術は、産業革命時の動力の導入に見られるように部分的機能(この場合は筋肉的機能)の量的拡大が一つの特徴になっている。
 技術の長い歴史の中で獲得してきたこの拡大は、実はより多くの人がそれぞれの生存の基本的な状態を獲得するために行なわれてきたものであり、この結果科学技術の展開は、人口の増加を支えることに大きく寄与するものとなってきたのである。
 ただ、これは単に拡大することを目的としているのではなく、ここにある基本的な理念は、人間が人間として持っている生得の条件ができるだけ損なわれることなく成就することを支援するというところにある。つまり、DNAにより約束された条件の範囲における最も望ましい状態を確保するための支援を行なうことが科学技術の目標となっているということである。これは、医学で言えば、人間の生得の寿命(平均的)(医療のテクノロジー参照)である八〇歳を、他の外因により妨げ、短くすることを極力防ぎ、寿命を全うするところに究極的な目標が置かれていることを見ても理解されることである。
 また、日常生活においてもその目標は臓器や手足、目等の肉体の部分が、与えられた機能を妨げられずに発揮させるところにある。もしそれらに、回復不能なダメージがあった場合に、これを人工臓器その他の技術により補填し、人間としての全体の機能を支障なく成就し発揮させるというところにおかれているのである。
 前に触れた胃袋に対応する技術は、人間の成長過程や活動に必要な物質が、必要な時に胃袋に届けられることを確保する技術であり.これもDNAにより約束された条件内で最も望ましい状態を成就するための技術であるということができる。
 教育も無形のものであるが、やはり成長過程や日常活動において必要な情報が、必要な時に大脳に届けられることを確保する技術である。これも、人間が人間として約束された条件を支障なく十全に成就するためのものである。現代の発達した情報技術は、全面的にこの問題に関わっていると言うことができる。
 工学的技術や運搬技術も同様に、人間が約束された天与の条件、可能性を支障なく成就するための技術であるが、これは単に個体のレベルではなく、より高度に組織化された人間の営みの構造の中で、その機能を発揮するものである。
 更に、これらのように直接に人間に関わって支援する技術のみではなく、それらの技術を更に支援する技術の群がある。エネルギー技術や素材技術は、これに当るものである。
 このように見てくると技術というものは、人間の存立を中心にいろいろな形でその外延を形成し、非常に大きな複雑な関連を持った総体を成しているものであることに気付く。このため、この本ではこの複雑な総体を成している技術を、人間の営みがつくる、これも非常に複雑な体系との対応関係において補えることを試みた。
 人間の営みの体系は、最もわかりやすい個体を中心に考えると、個体から人類全体を経て宇宙まで及び個体からDNAを経て原子までという広がりの中の、多層の構造として捕えることができる。それをここでは、次のような階層として捕えてみよう。
 まず個体がある。これは、生物的な単体であると同時に、人類全体を構成する構成単位としての意味を持っている。これをまず、個体レベルと呼ぶことにしよう。
 この構成単位である個体が複数集まったところに、部分社会という構造が考えられる。ここには、いわゆる家庭及び血縁的、地縁的地域社会及び何らかの機能や利益においてできあがった共同体が含まれる。
 ここで、これを部分社会と呼ぶのは人間の存立に必要な支援機能のすべてが具備されてはおらず、特殊な生産機能等一部の機能のみを持ち、その他は外部に依存しているこによる。
 この上に、これらを抱括する全体社会という構造が考えられる。これは今述べた人間の存立に必要な支援構造をすべて含んだ構造であり、そこには都市、農村地帯、工業地帯を含んだ広域な全体を考えることができる。
 更にこの上には、このような全体社会をいくつも含みながら尚且つ民族、国家等のように何らかの意味で一つの固まりとしてまとめて捉えることのできる構造がある。
 また更にこの上に、これらの大きな構造がいくつも関連し合う国際社会のような構造があり、これらがすべて集まって作る構造に人類全体という系がある.ここまでを共同体レベルと呼ぶことにする。
 科学技術の対象としては、この上に人類すべてが乗っている地球及び地球の環境としての宇宙がある。これが宇宙レベルである。
 個体から今度は、これを細分化して行くと、個体の中の生物的階層の構造を見ることができる。まず個体を構成している常識的に分離することのできる個体の各部分、手足、目、内臓諸器官のレベルがある。
 この下には、これらを構成する筋肉、骨、血等の構成要素のレベルがある。
 更に、分子レベルの構造があり、ここにはDNAのような人間の基礎的な条件を記述するものが含まれている。ここまでが生物レベルである。
 科学技術の対象としては、この下に原子及びその内部のような微細な構造の世界がある。
 また技術の側にも、材質、部品、連動するいくつかの部品、それらの総体である単体、単体がいくつか組織して作動するシステム、複数のシステムが組み合って更に大きな目的に対応するメディアという階層があり、またこれらをカバーする人間的技術としてコミュニケーション技術、社会的技術、それらの総体としての文化というような深い階層構造を考えることができる。
 このような人間的階層、技術的階層の交錯するところに、あらゆる技術がいろいろな形で関わり、そのそれぞれの状態における人間の存立を支援していることを見ることができる。この本では、これらの多くの技術の中からそれらを代表し、またこの階層の中での機能を明確に見せてくれるいくつかの分野を選び、今日と明日の間にある科学技術の全体像の概略を提示することを試みたのである。
 「これからの科学技術」では、科学技術の全体像と方向性及び視点が述べられ、全体のいわば道標となっている。
 「医療のテクノロジー」は、個体の構成要素及び部分から個体までのレベルに関わる技術である。この技術は、本文にあるように人間の生得の可能性を支障なく成就させるための最も具体的な技術である。ここには、現在ME(Medical Electronics)と呼ばれる電子工学技術が大幅に導入されており、この「生命科学」と「医療のテクノロジー」によって私達は一個の受精卵ができた時から、体の奥まで科学技術に取り囲まれながら生活することになったのである。
 「ライフサイエンス」は、人間の生物的レベルの最も基本的階層に対応し、分子生物学を中心に生命科学の分野に触れている。この分野は、人間の各階層の中で最も微細な部分であるが、それは同時にDNAや生命を通じて人類という全体の系と関わっており、人間の在り方を問う最も基本的な分野となっている。
 「都市生活とテクノロジー」及び「帰ってきた機械・ロボット」は、共同体レベルのほぼ全体に関わる人間の活動を、いろいろな階層で支援する不可欠な技術である。ここにも、従来の単なる拡大の技術ではなく、大量化して行くと同時に際限なく個別化して行く人々の要請に、個別に答え尚且つ全体を成立させて行くような新しいテクノロジーが登場し、急速に社会化されて行くのを見ることができる。
 「人工衛星から見た地球」及び「地球の健康診断」は、私達の深い階層と複雑な構造を持ち日々営みを続けている。この人類全体が乗っている、かけがえのない地球の条件を知るための技術である。
 「人工衛星から見た地球」では、主にランド・サットで捕えられた地表の条件から、私達の環境としての地球を把握しようとするものであるが、「地球の健康診断」ではこのような私達の環境に対する科学技術、産業技術の影響をエントロピーといういう概念で捕え、そこに―つの問題提起を行なっている。五〇〜六〇年代の科学技術の展開においては、このような視点が欠落していたために、多くの問題が起こることを許したのだが、これからのテクノロジーの展開においては、常にこのような視点と事前に問題を吸収しながら、開発と応用を行なって行く英知が必要であることを示唆している。
 同じく「宇宙へのアプローチ」は私達の地球の環境としての宇宙に関わるレベルの技術である。この分野には、まだ未踏の部分が極めて多く、またそれに直接たずさわる能力も極めて限られたところに偏在しており、パイオニア、ボイジャー等の宇宙探索機やスペースシャトル等の成果も、単純に人類全体の科学技術の果実として手放しで喜んでいられない事情もある。しかし、
この分野の技術により、宇宙も少しずつ人間に関係のあるものに変わりつつある。この探索の成果が、私たちの科学技術にもたらしているものが極めて大きいことも事実である。
 ここまで触れたすべての技術に関わるのあるものを、ここで二つ取り上げて考えて見よう。その一つがエネルギーである。
 「ストック型エネルギーからフロー型エネルギーへ」は、私達のすべての活動に不可欠なエネルギーの技術的、社会的問題に触れたものである。エネルギーは、特に一九七三年の第四次中東戦争を契機とするオイルショック以来、突然世界的に社会の存立の基本問題として前面に現れるようになった。従来エネルギー資源の獲得は、戦争の原因となるものであったが、ここでは戦争の手段として利用されるようになり、このため世界の経済は大きな影響をうけた。そして、これは新しいエネルギー技術の開発を促進させる契機となったのである。
 一方、これらの科学技術すべてに関わるもう一つの技術としてコンピュータの技術があげられる。
 コンピュータは、当初弾道計算や特殊な研究の計算のためのトゥールであったが、UNIVAC-Iが米国統計局に納入され、その社会化が始まって以来、徐々に社会メディアとしての方向性を明確にするようになった。オンライン化やTSS(時分割方式)等が普及するに及んで、これはより明確になった。また、その計算処理、情報処理の早さにより、事象に対するリアルタイムの反応が可能になり、これに基づくインタラクティビティ、アクセスビリティの向上は、そこに従来受け取り側に立たされていた人々が、アクセスにおける主体性を確保することに大きな力を与えるものとなった。
 この技術は、情報において、「人間の生得の可能性を支障なく十全に成就させる」こと、つまり必要な状態で必要とされる情報が、受け取り側の主体性に基づいて受け渡しされるということを初めて可能にしたものである。
 ことに、一九七一年にインテル社により開発されたワンチップコンピュータと呼ばれるマイクロプロセッサのその後の発達は、このような方向をより速くより広く押しすすめることになった。マイクロプロセッサは、小さなコンピュータとしての利用に留まらず、あらゆる機器に組み込まれて、その制御の頭脳的な部分となり、そのインテリジェント化を急速にたかめるものとなった。この結果、それまでは高度な熟練が要求された技術も、高い精度を保ちながら、非専門家に開放されるようになり、この面でも多くの人々の高度な技術に対するアクセスビリティをたかめるものとなったのである。
 五〇、六〇、七〇年代を通じて、その時代の主導的な技術によって作られた商品は、他の商品の価格が上昇するのに反して急速に低下して行くという特徴を示しているが、今マイクロエレクトロニクスの領域は、まさにこの時期に当り、驚異的な能力の増大と反比例して、価格が急速に低下していく傾向を見せている。
 この結果、この高度な新技術は非常に早く一般に普及し始め、0A、FAを促進し、またパーソナルコンピュータは中学、高校生のレベルにまで普及するようになった。
 現状では、まだこの成果の社会的影響は明確に見られないが、女性や低年層のこの分野への参加は、やがて社会意識の大きな変革をもたらす可能性がある。
 コンピュータの技術は、このように産業、商業、家庭のあらゆる側面に浸透し、人間の人間としての可能性を支援するものとなっているが、更に今ニューメディアと呼ばれて話題になっている一群の情報技術をもバックアッブし、社会メディアとして共同体レベルの人々の営みを支援し、社会的活動をより効果的なものにする社会的技術となろうとしている。

3 おわりに

 ここまでこの本の内容を、人間を中心としたシステムの中でとらえ、それらの位置づけと関連を考えて来た。
 ここで重要なのは、冒頭に述べたようにこれらの技術に基調として流れているものが、人間の生得の条件――これは多分権利と呼ばれるものだろう――が支障なく十全に成就することを支援するところにあるのだが、これをまた―つの視点から見ると、コンピュータの技術の中に明確に現われているように、個の主体性を確保し、顕現させるというところにあるということができる。
 従来の科学技術も、もちろん人を前提としたものであったが、その視点は機械と人との関わりにあった。六〇年代の経験を経たあと問われたものも、マン―マシンの整合性のあるインクラクションであったが、今日と明日の間にあって、今社会に適用されようとしている技術の目指すところは、人と人との望ましい関係を基にした社会の成立を支援するということである。科学技術と人間のつき合いを考えるのではなく、人間が人間として必要な条件で生存し、また人と人とがそれぞれの必要な条件を満たしながら望ましいつき合いをすることを助け、やがて二一世紀には七〇億に達しようとする人口を持つ人類全体の社会を、支援し、望ましい状態に維持することが科学技術の目標としてそこに問われているのである。
 ここに望まれている状態と現状の科学技術の間には、やはり大きなギャップが横たわっているが、これを順次着実にうめて行くことが「今日と明日の間の科学技術」の大きな課題となるのではないだろうか。

(端山貢明編『今日と明日の間の科学技術』、1983年、みずうみ書房、pp.307-323.「おわりに」)

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