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[2006]子どもの自己開発メディアの基本概念

基本情報


「子どもの自己開発メディアの基本概念」
執筆者:端山貢明

<記事目次>
第1節 子どもの自己開発メディア
第2節 子どもの自己開発メディアの基本的機能
(1)人間の遺伝子と文化の遺伝子の接触機能界面(interface)
第3節 留意すること
(1)目標者の概念
(2)主体性の尊重 問題解決の長い道のりの始まり
第4節 自己開発 そのメカニスム
(1)発見的問題解決のプロセスと自己組織化
(2)H.R.D.(Human Resource/s Development 人間内の埋蔵された
(3)学習の生産性 構造化能力 大脳の励起
資源の開発)
第5節 システムの要件
第6節 ゴール像
第7節 おわりに

(『最上川丸ごと体験ミュージアムプロジェクト実施報告書』美しい山形・最上川フォーラム、2006年3月、pp.4-8.〔第1章全文〕)
 

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記録日: 2006/03/31 『最上川丸ごと体験ミュージアムプロジェクト実施報告書』美しい山形・最上川フォーラム、2006年3月、pp.4-8.〔第1章全文〕


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子どもの自己開発メディアの基本概念

端山 貢明 

第1節 子どもの自己開発メディア
 このテーマは、これから、人類的にも重要な課題であるので、ここで先ずこのテーマを分解して、その原理の考察から始めることとしよう。
 「開発」の英単語developmentには「包むものを取る」と言う語源的意味(cf. envelopment)があり、包まれて未知であったものを開き顕わしその存在/機能を具体化し実現することであることが解る。
 これは、人間の遺伝子が人間一人一人に可能性として約するその成立像及びそこに至る発達過程が、その人の内にあって見えない状態から環境のさまざまな要因、条件との遭遇と主体的な対応の中で逐次具体化し実現され(あるものは消滅し)て行く人生のプロセスとも対応するもので、「発達」もdevelopmentのこの意味に重なる訳(やく)である。
 この「開発」を自らが自らに対して行ない、生涯に渉る望ましい「発達」を齋そうとするのが自己開発の目指すところである。
 また、メディア(media)はmedium(手段、媒質、媒体、中間にあるもの)の複数形で、それらの多くが人間と環境の間にあって機能する対応/問題解決の方法の集合として集まり出遭ったものである。このメディアにより、人間は生涯に渉るさまざまな遭遇の中から必要なものをその内側に取り入れ、また破綻に至るような問題は解決し、自らの存立の効果を高めて来たのである。
 この自己開発のメディアを特に子供において考えようとするのは、人間の生涯に渉る発達過程において、幼児期は極めて重要な時期であり、「三つ子の魂百まで」と言う言葉もあるように、0歳から3歳程度までに遭遇する様々な要素、事件に対応して大脳の神経結合、その神経網を走るソフトウェア、技術等の発達が著しく進み、その後の生涯に渉って固有の存在像を創り上げて行くその基盤がこの時期に出来上がるからである。

第2節 子どもの自己開発メディアの基本的機能
(1)人間の遺伝子と文化の遺伝子の接触機能界面(interface)
 新生児がやがてその内に人類としての文化を持った「人」にまで成長するためには、前項にも触れたように先ず生物としての発達を約する人間の遣伝子と人類の文化の体系の中を受け継がれ、発達しながら流れる様々な要素、文化の遺伝子との望ましい接触が不可欠である。
 「子どもの自己開発メディア」は、子どもとその環境の間にあって、その発達過程に応じて必要とされる接触機能を果たし、望ましい自己実現を支援する接触機能界面として設定され、知の遣伝体系の一翼を担おうとするものである。
 これは、文化の遣伝子との接触の欠落した環境に置かれた子どもが成人し社会人となった時、社会的疎通に破綻が起こり、本人も周辺も社会的成立が困難になると言う状況が現実に少なからず起こっているところから、この欠落とその結果起こった個及び社会における損失を積極的に解消し補填する、又それが起こらないように予防的対策を講じておくことが必要という現代の方向性の解析に基づいたものである。
 この時、このメディアが、社会メディアとして社会的効果を以って成立するためには、子どもが強い関心と興味を持って自らこのメディアに向かい合うような魅力がそこになければならない。ここで魅力とは、対象を惹きつけて止むことのない重力である。
 この重力を産むものがinterest(興味、関心、利益)である。Interestの訳に「興味」「関心」と共に「利益」が並んでいるのは一瞬不可解な感のある向きもあるかと思われるが、人が深い興味、関心も持って出遭うものからは、必ず何らかの利益がもたらされ、利益の生ずるものには、人は必ずなんらかの興味、関心を持つと言うメカニスムから、interestと言う単語がこの関係を一言で現わしているのは示唆深いところである。
 このinterestを重力として、あの漏斗状の構造の上端の縁にうっかり触れるとそのまま崩れる斜面に流されて底まで引き込まれてしまう重力場の模型のようなアリ地獄の巣と同じ働きで、知のアリ地獄として子どもをinterestの重心まで引き込む。
 この「知のアリ地獄」は、知の重力に惹かれて歓びを以って自然に繰り返しアクセスするうちに、つい、何時の間にか知のゲノム(文化の遺伝子)が自然に身についてしまうところから実は「知の天国」であり、このような様々な問題に自ら気付き自ら物を考え創ることが自然に促されるヒントに満ちた環境が「子どもの自己開発メディア」なのである。
 かつて博物館は当時の知のメディアとして大きな社会的機能を果たしていたが、あの決定性の強い単方向的展示、説明、説得が既に現代の要請に応えることの出来ない期限切れ(expiration)の状態に達し、移行期を経ながらアクセス側の主体的な要請に敏感に応える応答性(responsiveness)が基本的機能として提供されるところに至っている。50,60年代に概念及び理論的提起が行なわれ、70,80年代に至って情報学的テクノロジ一の顕著な発達の下に、自分にとって必要なものを自らの意思とアクセスにより得ることの出来るアクセス側の主体性において成立するメディアヘの転換が急速に可能となって来たのである。
 wwwの開発と解放によってインターネットはI/0(input/output)両局面における自由アクセス機能の解放から、自らの創ったものもそこに置き開き他の子どもの自己開発にも資する、広範な対象との自由な相互的アクセスの端緒を開き、日常的なシステムとしての知性媒質の姿を予見させたところに大きな功績を残した。

第3節 留意すること
 「子どもの自己開発メディア」として常に留意しなければならないことは、目標者の望ましい自己実現の支援、である。

(1)目標者の概念
 ここで目標者とは、そのシステムの運用において、その人が最も望ましい状態で成立できるよう望ましいサーヴィスを贈られる人、子どもの自己開発メディアにおいては当然子ども、高齢者介護施設においては、そこに身を寄せる高齢者であり、行政機関においては、主権者としての国民(people、citizen)である等、そのような機関の機能の目標、サーヴィスの目標となる人、その人のためにこそその機関が存在し、尽すところの人のことである。
 機関の運営の利便のためにサーヴィスの手を抜いたり、よく聞かれるように注文の多い高齢者には怪我にまで至るような悪意をこめた扱いが行なわれたり、誰が最も大事にされるべき人なのか、明確な認識を欠いた対応は許しがたいところがある。
 このために、目標者という概念の設定から始まり、目標状態の到達像を明確にしながら、サーヴィスのあり方を常に検討し改善することが重要なのである。

(2)主体性の尊重 問題解決の長い道のりの始まり
 目標者である子どもの主体的存立の尊重は、人間の遺伝子が可能性として約するところの自己実現を妨げないこと、子どもの主体的行動、主体的アクセスに敏感に応答することと共に、その子どもの存在の権利を守るものであり、その子どもの自己開発、自己実現を励起すると同時に、大きな意識の時差から整合的な併立が困難な人類の現状を、ある時点から溶解し解消する可能性をも含んでいる。

第4節 自己開発 そのメカニスム
 教え込みではなく、子どもが自ら自分の力で考えることをうながすヒント、表現することにより自らの能力、その可能性を自らに明確化し、有効な実働状態で引き出すフィードバック・ループ。
 このプロセスで、様々なシミュレーション、試行錯誤、エラーと補正、試行確認の中で固有の体系の生成が行なわれ自己実現に近づく。このために子どもが主体者として自らを育てることを支援する応答性の高い、自由構造化の可能な、大脳の思考系に易しく向かい合う使いやすいメディアが俟たれるのである。

(1)発見的問題解決のプロセスと自己組織化
 多くの仮説と実証に基づく主体的な発見学習(heuristics)においては、仮説ごとに大脳の神経結合及びその神経系を奔る問題処理のソフトウェアの体系化が行なわれ、問題に対応する内部の構造の自己組織化が広く進む。この新しく結合した神経系はその後解体せず残り、更に新しい仮説、問題解決毎に起こる新しい神経結合は生涯止まることがない。
 一方、旧来の我々の社会の教育のような固定的解法/解答の強制的教え込みにおいては、その一組の解法/解答に対応する只一組の神経結合/処理ルーティンが獲得されるのみで、ここに対応能力のthresholdの差、容易に問題解決に向かう子供とキレやすい子供の差が生まれるのである。

(2)H.R.D.(Human Resource/s Development 人間内の埋蔵された資源の開発)
 日本語の「教育」に対応するヨーロッパ言語のeducation, educatio, edukation, 等の単語の共通の語幹をなしているラテン語のeducoには引き出すと言う意味があり、ローマ人が「教育」educatioを、その人から未だ現れていない潜在的な望ましい能力、属性を引き出すこと、と考えていた事が推測される。

(3)学習の生産性 構造化能力 大脳の励起
 ここで学習の生産性とは、ガリ勉をしてページ数を稼ぐことではなく、同じ内容ならより少ない負担において楽に理解を進め、一生楽に使える適応範囲、領域の広い能力を楽に獲得することである。どう見てもこれが本当の「学力」ではないか。
 同じ学習を1/2の負担で出来るシステムがあれば、ここで余った半分の時間は、他の学習、研究、遊び、昼寝に自由に使うことが出来、更に人間的な人生を持つことが出来るのである。
 旧来の教育の生産性の低さが、今に続くこれまでの社会問題を招いていることを考えると、新しい自己開発メディアの開発と普及は、急がねばならない。

第5節 システムの要件
 これは一言で言って、アクセス側の主体性に対応するUniversal designである。

第6節 ゴール像
 70年代以来求めて来た「大脳を裏返して人類を包む知性媒質」の一つの実現形が「子どもの自己開発メディア」として現れようとしている。
 ここで大脳を裏返して・・という表現は、人間の機能の外化/拡大は、総て、人間の機能部分の逆の形で実現されている、と言う法則に基づくものである。例えば「手袋」は一見人間の手と同じ形に見えるが、その主要な機能部分は手の甲、指、掌の肌に接している内側の面で、ここでは手袋は完全に手の裏返りの形をして手を包み、保温、保護に当たっている。自動車のハンドルも、握り締める手の裏返りの形で、指の形まで凹ませて、握り締められるのを待っている。
 これと同じく、大脳の諸機能に対応して外化拡大されたメディアは、環境を背景に背負って向かい合うように人を包み、人からの指令を待っているが、やがて、大脳の活動により発せられる電磁波によって意のままに操縦されるようになるだろう。脳波fingerprintも遠くないうちに話題になるだろう。

第7節 おわりに
 ここまで、「子どもの自己開発メディア」について幾つかの視点から触れてきたが、まず子どもたちが、これを始めたらもう面白くてやめられない、と言う段階に至り、子どもたち自身で新しい表現法を次々と開発し、表現することによる自己の確認と言う大きな成長ステップを経て社会的人間に育っていくのが侯たれる。これは年齢的には子どもでも社会的人間として広くメッセージを発し、発しあうことは人々の等しく待つところで、社会の風通しも変わってくるに違いない。
 「子どもの自己開発メディア」が社会的実働を始めてしばらく経つ段階になると、人々の関心が集まり、そこに新しい社会的要請が起こるものと思われる。
 それは、このメディアを子どもだけでなく、高齢者、遠慮がちな主婦、活発すぎる高校生等あらゆる世代の人々がこれを使いたくなる状態で「全世代自己開発メディア」の開設への要請である。自己開発状態は年齢に比例して進むのではなく,個々に異なる状態で進む。このため異なる世代の人々が同じステップの自己開発現場で出会い、異なる文化を交換し合う、大変に望ましい状態が出来上がるのである。
 現段階でこれを言うのはまだ速いと誰しも思うだろうが、準備は総て速めにゆっくりと始めたほうが、その成果は高い。
 我等の山形の文化的成長に、大きな期待を持つものである。

(『最上川丸ごと体験ミュージアムプロジェクト実施報告書』美しい山形・最上川フォーラム、2006年3月、pp.4-8.〔第1章全文〕)
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