指定年月日 平成20年2月25日 所有者 湯殿山神社(旧本道寺) 所在地 西川町大字本道寺字大黒森381番地 員数 1枚
政府は明治5年(1872)に修験道を禁止し、女性の登山参詣を認めた。出羽三山では同10年(1877)8月に女人禁制を解いた。更に内務省は同17年(1884)に出羽三山に山先達なしで、自由に登ることを公認した。 これらの動向を受けて、山形市内では出羽三山女講中が結成され、登拝が行われるようになった。 この絵馬は、その記念に湯殿山神社(旧本道寺)に奉納されたものであり、筆者は不明であるが出羽三山(月山)に登拝する姿を活写した優品である。 特に、奉納年と奉納者の住所・氏名や後見人、発願者、世話人の氏名が明らかであり、奉納時の社会的背景や奉納者の分布を把握することができる。 更に、明治22年(1889)の奉納年は、戊辰戦争の際、官軍によって焼き払われた本堂が湯殿山神社として再建された年であり、本道寺の先導衆(元山先達)が、再建のための浄財募金活動を通して、本道寺霞場(檀那場)を出羽三山信仰へと覚醒させた証として意味があり、貴重な絵馬と言える。
1奉納年代 明治22年(1889)7月 2奉納目的 諸願成就、家運長久、諸災消除など 3奉納者 山形市女講中 4形 長方形 5寸法 タテ(119p) × ヨコ(436.5p) 〔額縁〕〔タテ 138p〕× 〔ヨコ 456p〕 6図柄 彩色された板絵であり、図柄は女講中の集団が電光形の登山道を数列になって、埋めつくすように山に登っていく様子が白色、黒色、橙色、朱色に彩色されて描かれている。人物は大部分が女性であり、白い足袋に草履を履き、手には笠、唐傘を持っている者もいる。しかも男性も描かれており、黒や白色の股引を履いた者、帽子を被った者、太鼓を背負った者、僧姿や山伏姿の者など多彩である。いずれも嬉々とした表情が豊かに表現されている。描き方は遠近法的であり、右手前には樹高の高い2本の松が墨で描かれ、高度の高まる左前方の尾根筋には針葉樹が列状に墨で描かれている。 7銘文 絵馬面の右側上部に「奉納」という大きな文字とその下に「山形市女講中」が記されており、更にその下部には奉納者(376名)の住所(町村名)が7段に亘って列記されている。住所は山形市のほかに山ノ辺、長崎、左沢、蟹沢、庭月、米沢、鶴岡などがあり、県外では仙台市、福島県の須賀川、神奈川県の小田原、三重県の松坂の地名がある。左側の下部には後見人(6名)、発願人(1名)、世話人(11名)の氏名が墨書されており、合計人数は394名である。詳細は別紙のとおりである。筆者は不明である。 8 現状(損傷の程度など)奉納以来約120年経過しているが、特に損傷はない。板面は退色しているが、墨が基調であり、全面をほぼ正確に把握することができる。
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