『崖の上のポニョ』は楽しい映画でした。
宮崎駿監督が、『千と千尋の神隠し』を作る時に別所温泉に来て物語の構想を温めたという逸話があります。『ポニョ』を見て、これは明らかに源泉のある物語を使った物語づくりをしていると思いました。そのことを楽しんで作ったかのような映画です。
大筋のアイデアは『人魚姫』と言えなくもありません。意識的に模倣しているのが、ヴァーグナーの『ニーベルングの指環』です。ポニョの父親がポニョを「ブリュンヒルデ」と呼ぶのはあからさま過ぎです。『指環』ではブリュンヒルデは、神々の長ヴォータンの娘で、自ら建てたヴァルハラ城を守るために、死者の英雄たちをその守りにつかせるヴァルキューレ9人娘の長女。ポニョのまわりにいるたくさんの小さな妹?はこのワルキューレの見立てです。一方、ヴォータンは神々の長であるにもかかわらず、女房のフリッカには頭があがらず。この辺のシチュエーションはポニョの父親と母親とそっくりなことがわかるでしょう。崖の上の家はヴァルハラ城と見立てられなくもありません。
ソウスケは言うまでもなくジークフリートです。『指環』ではブリュンヒルデは炎の岩山に幽閉され、ジークフリートによって、眠りから覚め、人間の世界へと旅立っていきます。ポニョは同様に、海底の密国?(これも「オズの魔法使い」そっくり)に幽閉され、ソウスケによって、人間の世界で人間になります。
ソウスケとポニョが舟で旅をするシーンはさながら、ジークフリートとブリュンヒルデの「ラインの旅」です。薄暗いトンネルを抜ける場面は、『指環』以上に人生の試練を示唆したモーツァルトの『魔笛』を彷彿とさせます。
『指環』であれほど象徴的に扱われていた「炎」というものが(ブリュンヒルデを守る岩山の炎、ラストで炎上するヴァルハラ城)、『ポニョ』では擬魚化されたマッシーブな海の波と化しています。この波のイメージは明らかに葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』が源泉です。
途中、黒澤明の『夢』を彷彿とさせる場面が2つ。1つ目はソウスケとポニョが船の旅で遭遇するボートレース?の場面。これは安曇野のわさび園でロケした『夢』の祭りの場面に酷似です。もう一つは薄暗いトンネル。これも『夢』で死んだ兵隊たちが行進をする場面。これらは、やっているな、とすぐわかります。
それにしても波が荒れ狂うシーンで、あそこまで『ヴァルキューレの騎行』そっくりの音楽を流すのは痛快です。あの波の上をポニョが走っていく様はそれ以上に楽しく最高でした。ポニョの母親が登場する場面の音楽は、もろにドビュッシー。『海』ではないですか。どちらもそのものではなく、かなりそっくりな音楽なのが面白い。監督も作曲者も意識的にやって楽しんでいるのがよくわかります。
『指環』はヴァーグナーのオリジナルな話ではなく、神話を脚色した二次的な創作物です。アートは引用や織物だと見ると、いろいろな見え方がしてきます。
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