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ミッチーのほぼ日記

[14/10/25]高野山・蓮華定院・上段の間

カテゴリ: 大阪まちあるき・高野山探訪2014 地域: 和歌山県
(登録日: 2014/11/03 更新日: 2024/02/22)



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記録日: 2014/10/25

1600年、第二次上田合戦で徳川秀忠の軍と対戦した真田昌幸・幸村親子は高野山に幽閉されることとなり、最初、蓮華定院に身をおいていました。その部屋と伝えられているのが同院の上段の間です。昨日、高野山を訪れ、蓮華定院の上段の間を見せていただきました。残念なことに蓮華定院は江戸期に焼失し、再建されたため、昌幸・幸村親子の滞在した部屋ではありませんが、上段の間は焼失前と同じ位置に作られたとお聞きしました。昌幸・・K村親子がこの部屋にいたことが伝えられていること、同じ部屋が再建されて現在に残っていること自体が希少なものです。

高野山と真田氏が意外なところでつながっているものです。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は高野山、熊野古道などを含み、昌幸・幸村親子がその晩年を長く暮らした九度山ともつながりがあります。大坂の陣での真田幸村の活躍が後に英雄譚となり、世界遺産と重なり合うこととなりました。
 

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