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ミッチーのほぼ日記

蚕都熊谷を知る(3)熊谷の養蚕・蚕種

カテゴリ: 蚕都熊谷を訪ねる2011 地域: どこか
(登録日: 2018/01/15 更新日: 2024/02/22)

熊谷の養蚕・蚕種の沿革



 当所養蚕飼育についてはその発端当時の状況を二〇章第一節に述べたが、爾後、養蚕製糸に関する諸機関が続々と設立され、特に明治三〇年以後の発展は後に記すごとく目覚しい発展となり、「蚕糸の街」として世に知られるようになった。以下当市に於ける蚕糸業発達の概要を桑園、養蚕、蚕種、製糸の四項について慶応二年から昭和一一年までを記してみよう。
△桑園
慶応二年 鯨井勘衛(玉井)荒川河原に桑園を開拓す。
明治三年 長井市太郎(村岡)同上。
〃 六年 県、荒川河原栽桑を奨励す。
〃一一年 県、布達を以って桑園の害虫駆除を励行す。
〃四〇年 県、桑園増殖奨励金を交付方指令す。
〃四四年 県、荒川洪水復旧奨励金を交付す。
大正七年 桑園生産者大いに増加す。
〃 八年 県、晩生産を廃して早中生桑(市平、改良鼠返し)栽植奨励。
昭和二年 県、蚕業試験場及秩父外七ヶ所の支場に指導圃を設立す。
〃 六年 稚蚕共同桑園設置と補助規程を発布す。
〃 八年 県、桑苗検査規則を公布。
〃一一年 県、繭生産費低減施行補助規則を定む。
△養蚕
明治二年 玉井の鯨井勘衛元素楼(清涼飼育場)を建設す。
〃 六年 皇后、皇太后両陛下元素楼の状況台覧さる。
〃一四年 県、養蚕組合概則を交付す。
〃三五年 熊谷農学校開校。
明治四五年 県庁内に蚕業取締所設置(県内八ヵ所に支所設置)
大正一〇年 埼玉県蚕業試験場設置(後、原蚕種試験場と改称)
昭和五年 蚕業不況打開大会を熊谷で開催。
△蚕種
文久三年 鯨井勘衛蚕種製造を始む。
明治五年 蚕種大総代制を設置され鯨井勘衛選任さる。
〃二〇年 蚕種検査所(翌年原蚕糸検査所と改称)を設置。
〃三三年 大里郡蚕種同業組合設立。
〃三八年 蚕種予防事務所を熊谷町外五ヶ所に設置。
〃四三年 埼玉県蚕種業組合成立(昭和八年改称)
〃四五年 産業取締所を熊谷町外六ケ所に設置。
大正二年 原蚕種製造所を熊谷町に設置。
〃一五年 県、各組合に技術員駐在所を置く。
」(pp.230-232)
 

熊谷市養蚕統計(年次別)


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(pp.232-233)


△蚕霊塔
 昭和三六年三月二八日、名勝「熊谷づゝみ」万平公園(桑園開拓の祖竹井万平翁ゆかりの地)に建設されたもので「桑つみ」と「繭かき」の浮ぼり婦人の像と共に中央に大きな繭玉を立てた塔である。総工費二五〇万円で埼玉県蚕糸業協会が熊谷市土地区画整理事務所と共に総力をあげて築造したもので製作は日本美術同人新海竹蔵である。

△埼玉県立蚕業試験場 熊谷一二〇一(大原)
 蚕業の試験研究所として大正二年三月熊谷町に原蚕種製造所が設置された。同一一年一一月、農商務省令第二二号で道府県蚕業試験場規程が発布され、蚕業試験場と改称した。昭和二六年六月には試験場条例が制定されて、養蚕、蚕種、栽桑、病理の四部及庶務課となり、現在にいたっている。現場長…河野幹雄
△埼玉県繭検定所 曙町二の七九
 大正九年 蚕業試験場に製糸試験部設置。繭の製糸試験、糸繰り方法の研究、正量取引の作振、教婦の養成をなす。
 〃一一年四月 生繭の検定をはじめる。
 〃一四年四月 乾繭の検定を行う。
 〃昭和三年 委託製糸の繰糸をはじめる。
 〃 一〇年 製糸用水の鑑定分析開始。
 〃一二年四月 現所名に改め蚕業試験場製糸部を廃止、繭検定鑑定、同調査研究、生糸の製造、同試験研究。
 〃二〇年八月 消失、検定所を旧幡羅村に移す。
 〃二五年九月 復興建設竣工。所長…石井栄蔵(現在)

(pp.233-234)
 

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