江戸の町 Site of Hyappon-gui 百本杭跡 12
百本杭とは、総武線鉄橋あたりの隅田川の湾曲した東側の部分に打たれていた護岸のための杭で、ここからほど近い川中にありました。川の流れを和らげて、土手を保護する役目を負っていました。その辺りは、明治中頃までは鯉の釣り場として有名で、釣り好き幸田露伴もよく出かけたといわれています。 その風景も見事だったため、広重の「東都名所」にも描かれていますし、最後の浮世絵師といわれる小林清親が「千ぼんぐい両国橋」や「東京両国百本杭暁之図」として、浮世絵に描いています。 また、歌舞伎の「色街模様煎色縫」の「稲瀬川百本杭の場」で、かなわぬ恋をした二人が身を投げて心中する場所とされています。
墨田区
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