私の恩師でもある端山貢明さんが大学に来てくださったので、この機会にビデオによるオーラルヒストリーの記録を試みました。私の企てはもろくも崩れオーラルヒストリーにはならず、フリートークの記録となりました。それはそれでいい。こういう知の対話がネットに当たり前に出るようになることが、一つの革命です。対談する人どおしはどのような組み合わせでもよい。このシリーズを「知の泉」と名づけようかと検討中です。
メシアンの啓示が最初の話題。メシアンは20世紀の大作曲家で、端山さんの師匠です。生前にメシアンが「神の遍在」といって誤解されたことの話から始まりました。また、神の遍在・iユビキタス)がコンピュータの世界では矮小化されて使われているとも指摘。確かに端山さんが言うようにユビキタスは本来の概念からはずれ、利便性の意味あいで使われている感は否めません。
重厚長大と軽薄短小の優劣を評価実験するのも今回のねらい。左がハイビジョンカメラ。右が普通のデジカメ。幸いに三脚を忘れたので本を立てて三脚替わりにしました。うーん、これも軽薄短小でいい。もう三脚持ち運ぶのやめよー、ということにつながります。
結局、パソコンに取り込めたのはデジカメの動画だけ。ハイビジョン映像はminiDVテープからパソコンに取り込まないといけない。これだけでもたいへんなボトルネック。デジカメはメモリスティックDuoをパソコンへポイと差し込むだけ。それでもコピーに20分もかかりました。動画はMPEGで90分。1.8GBにもなり、このままでまともにはネット公開できず、結局、ダウンサイジングしてその処理に途方もなく時間を費やしました。もちろん内容をチェックすることなど時間がかかりすぎてできない。話したものをノーチェックのままネットに放出することが当たり前になったら、ホントに軽薄短小の恩恵を受けられます。意識改革がまだまだ足りませんぞ。そうそう、「神の遍在」、まさにここに偏在していました。
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