私が蒲生干潟を初めて訪れたのは2001/07/22です。今から16年も昔のことになります。バードウォッチングが目的で訪れました。私個人は当時はビデオカメラ(DVカメラ)で旅先や日常の記録をしていました。この企画「蒲生の記憶2001〜17」は過去に撮り溜めた映像から静止画をサンプリング抽出して「蒲生の記憶」の再現を試みるものです。
以後、2001/07/28、2001/11/23、2003/03/01に訪れました。いずれの回もビデオカメラで撮影をしました。初回訪問の2001/07/22の映像データは見つかりませんでした。その後、訪れたのは東日本大震災直後の2011/05/21。この時は蒲生干潟には接近もできませんでした。宅地化された一画(蒲生一・二丁目、中野)では地震と津波に襲われた家々にボランティアが入って復旧の作業が進められている様子を目にしました。今回2017/05/02に訪れてみると、それらの宅地は更地化されていました。干潟と干潟側にある蒲生の集落には、昔の面影のあるものは跡形もなくなっていました。日和山が再生され、松並木はわずかばかり残り、蒲生排水機場がかつての場所を知る手がかりとして残されています。
そのように跡形もない中、ダミーのバス停が立っているのが印象に残りました。そこに古くからの地域社会があったことをバス停が指し示しています。地域の記憶のトリガーと言ってもいい。しかし、見えないものが見えてくるかのようであっても実はそうではない。記録としての画像を突き合わせてみることで、記憶が引き出されてくるのではないか。昔の私の記録画像は地域を記録しようと思って記録したものではないため、記録としてはかなり不十分なものです。また当時のDV方式のビデオ映像のため、質が悪いのも難点です。そうした悪条件ではあっても抽出した静止画によるサンプリングでかつての蒲生を少しでも「見える化」、「再現」してみたいと思います。
|