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ミッチーのほぼ日記

[13/11/30]交通博物館跡、震災復興と万世橋

地域: 東京都
(登録日: 2015/01/25 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2013/11/30 東京都

交通博物館は、さいたま市に移設する前、この場所に建っていました。私は小学生の頃に見学した記憶があります。交通博物館の前は万世橋駅の駅舎だったところです。この一画に「震災復興と万世橋」と題する説明板が立っています。
 

説明板クリップ


震災復興と万世橋

 明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成した。この橋は、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。さらに明治29年(1896)に萬世橋東側に木橋を架けて馬車鉄道が開通する。
 明治36年(1903)に現在の位置に新しい万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、後に撤去された。この新しい万世橋は、路面電車が走るなど東京の名所となったが、大正12年(1923)の関東大震災で被災し、昭和5年(1930)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成のアーチ橋に架け替えられた。
 現在神田川に架けられている橋の多くは、震災復興橋梁と呼ばれる大正末年から昭和初期に架けられたもので、各橋は地域性を踏まえたデザインで造られたという。トラスドアーチ橋の聖橋、鋼ラーメンゲルバー桁橋の御茶ノ水橋、ヒンジアーチ橋の和泉橋と美倉橋など、神田川にある震災復興橋梁は、様々な構造で造られ、親柱や欄干のデザインに特徴を見いだすことができる。
 

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