萬松寺
千歳山萬松寺萬松寺は今より一三〇〇年前に阿古耶姫が開基したといわれている。姫の父は藤原鎌足公の曽孫藤原豊充郷で朝廷の命により陸奥に下って役命を務めておった。姫はこの地にきて生涯を終え、この萬松寺に葬られた。 (千歳山の山名はここに由来する) しばらくは近隣に住む衆の素朴な信仰の寺として存在していたが、幾年かの後に法相宗の行基菩薩が来錫し開山した。その後、天台宗の宝山禅師の法孫が岩手の正法寺を開き、その正法寺三世清厳良浄膳師が曹洞宗萬松寺を開山した。 阿古耶姫と千歳山の松の精、名取太郎との悲恋物語と、歌枕としての阿古耶の松は、平家物語・今昔物語・古事談に記載され、名勝古跡として、あまりにも有名である。
山門 山形開城の祖斯波兼頼公(足利時代延生年間)が建立せし霞城(山形城)の大手門(南門)である 最上義光公(戦国時代天正年間)が白堀を改造し石垣城とするに当り旧城門に黒印六十石を付加し當山へ寄進された門である 山門上の額「千歳山」(歳は山冠)は上杉鷹山公の師細井平洲の筆 千歳山萬松寺
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