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甲州財閥 若尾家墓所

甲州財閥 若尾逸平一族の墓地の記憶

甲州財閥: 甲州財閥 甲府市: 山梨県甲府市
(登録日: 2022/07/10 更新日: 2024/11/11)


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記録日: 2010/08/02 山梨県甲府市

 明治から昭和にかけて、山梨県経済の近代化と発展に尽くした甲州財閥を代表する人物である若尾逸平夫妻ほか若尾家3代の墓石(山梨県甲府市愛宕町、長禅寺)が取り壊され、なくなっていたことが朝日新聞山梨版で報道されました(2021年7月20日付け)。山梨県笛吹市の山梨県立博物館が若尾逸平の生誕200年を記念し、その功績を顕彰する企画シンボル展「生誕200年 若尾逸平」が終わった直後の報道であり、県内外の郷土史研究家などに驚愕の波紋が広がりました。
 新聞報道によると、若尾家墓所が取り壊しとなったのは寺側が墓地埋葬法に基づく改葬処分を行なったため。墓石は墓所の裏手に砕かれた状態で散らばっていたということです。
 また、報道によると甲府市長(樋口雄一氏)がこの墓じまいについて「若尾逸平氏の墓石が取り払われたことは大変残念だ。甲州財閥や初代甲府市長といった業績は変わるものではなく、後世に引き継がれていくものと考える」とコメントを伝えています。

「甲州のスーパービジネスマン 若尾逸平の墓石なくなる」朝日新聞デジタル版
https://www.asahi.com/articles/ASP7M3S00P6KUZOB004.html

 若尾逸平は、天秤棒一本の行商人から身を起こし、明治時代には初代甲府市長や貴族院多額納税者議員を歴任し、山梨県の政財界を代表する人物です。実業家としても東京電燈や東京馬車鉄道といった、帝都東京の重要なインフラを担う企業の経営権を手に入れ、甲州財閥の名を日本中に轟かせた偉大な功績がありました。甲州財閥が衰退したあと、若尾家墓所は甲府市内で甲州財閥の栄華を記す唯一の「史跡」あるいは「記憶遺産」となっていました。
 若尾家の権勢を示す雄大な墓石も現在ではもう見ることはできませんが、その偉業を追悼する檀家さんの墓参写真を中心に若尾家墓所の記録を残すことといたします。
 

山梨県立博物館2021年シンボル展「生誕200年 若尾逸平」


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記録日: 2021/05/00 山梨県立博物館

山梨県立博物館2021年シンボル展「生誕200年 若尾逸平」
 本展では若尾逸平の表の顔である実業家としての業績をみながら、山梨や日本の近代史を振り返る内容が展示された。また若尾の趣味など素顔にも迫る資料も多数で、人物像全体が理解できる内容だった。
 シンボル展終了後もホームページで概要を見ることができる。
■期間
 令和3年5月22日(土曜)〜6月28日(月曜)  ※終了しました。
 (休館日 毎週火曜日)
■時間
 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
■観覧料
 常設展観覧料(一般520円、大学生220円 詳しくは利用案内へ)
■シンボル展「生誕200年 若尾逸平」ホームページはこちら

http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_041.html
 
(13件)
01 若尾家墓所の入り口 02 若尾家墓所の石塀と門柱 03 若尾逸平夫妻の墓石と石灯籠 04 若尾家当主・若尾逸平、民造、謹之助3代の墓
05 若尾逸平・波津子夫妻の墓 06 若尾逸平墓石に刻まれた墓碑銘 07 若尾波津子の墓碑銘 08 2代目若尾民造・幾久子夫妻の墓
09 若尾民造の墓碑銘 10 3代目若尾謹之助・春夫妻の墓 11 若尾謹之助墓石に刻まれた墓碑銘 12 若尾鉄之助一家の墓
13 細田家墓石

若尾家墓所を無縁墓地とする改葬公告

(1件)
01 若尾家墓地ほか無縁墳墓等改葬公告(令和元年12月27日付け)

破却された若尾逸平3代の墓

(8件)
01 墓じまいとなった若尾家墓所 02 墓じまいとなった若尾家墓所 03 墓じまいとなった若尾家墓所 04 墓じまいとなった若尾家墓所
05 墓じまいとなった若尾家墓所 06 墓じまいとなった若尾家墓所 07 墓じまいとなった若尾家墓所 08 墓じまいとなった若尾家墓所

若尾逸平家墓所の取り壊しに対する甲府市長の対応


 樋口雄一甲府市長は令和3年7月9日の市長定例記者会見において、報道記者から若尾逸平の墓が取り壊され、撤去された問題について、墓地を関する寺などの処理に「非常に残念に思う」と表明した。あわせて今後は若尾逸平一族の足跡をどのように残すか、甲府市の文化財行政のあり方を検討課題として挙げた。
 以下甲府市の広報ホームページより引用。
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/koho/shise/gaiyo/shicho/kaiken/r3/r30709.html


(記者)
初代甲府市長の若尾逸平さんのお墓が撤去されていたことについて、改めて市長としてお気持ちを教えてください。

(市長)
若尾逸平さんは、甲府の初代市長ということだけでなくて、甲州財閥として大きな足跡を残した方であります。先日は県立博物館でも、生誕200年を祝う記念のイベントもあり、私も行ってまいりました。
中央にございます山梨中銀金融資料館には、若尾さんの活動も紹介されておりますのでぜひ、見ていただければありがたいと思います。
ご遺族や、お寺との関係でなかなか行政がそこに介入することが難しいですが、実際墓がすでにないということについては非常に残念に思っております。
開府500年、信玄公生誕500年でもありますが、甲府の長い歴史の中でも大きな足跡を残された方でありますので、今後どのように、その足跡を市民の皆さん、県民の皆さんにお示しするかについて、庁内でもこれからも検討を続けていきたいと思っております。

(記者)
お墓に関してはご遺族の関係でなかなか介入することが難しいかと思いますが、歴史もあるということで、文化財などにできなかったのでしょうか。

(市長)
戦国時代の武将などのお墓等については、文化財の指定ができているところや紹介文などでお示しができているところはありますが、近代の方についてはご遺族の方などがいらっしゃいますので、その方々の考えなどもあり、すぐに行政が介入することは難しい状況です。
今後も庁内でそのことについても検討していきたいと思っております。

(以上)
 
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