明治から昭和にかけて、山梨県経済の近代化と発展に尽くした甲州財閥を代表する人物である若尾逸平夫妻ほか若尾家3代の墓石(山梨県甲府市愛宕町、長禅寺)が取り壊され、なくなっていたことが朝日新聞山梨版で報道されました(2021年7月20日付け)。山梨県笛吹市の山梨県立博物館が若尾逸平の生誕200年を記念し、その功績を顕彰する企画シンボル展「生誕200年 若尾逸平」が終わった直後の報道であり、県内外の郷土史研究家などに驚愕の波紋が広がりました。 新聞報道によると、若尾家墓所が取り壊しとなったのは寺側が墓地埋葬法に基づく改葬処分を行なったため。墓石は墓所の裏手に砕かれた状態で散らばっていたということです。 また、報道によると甲府市長(樋口雄一氏)がこの墓じまいについて「若尾逸平氏の墓石が取り払われたことは大変残念だ。甲州財閥や初代甲府市長といった業績は変わるものではなく、後世に引き継がれていくものと考える」とコメントを伝えています。
「甲州のスーパービジネスマン 若尾逸平の墓石なくなる」朝日新聞デジタル版 https://www.asahi.com/articles/ASP7M3S00P6KUZOB004.html
若尾逸平は、天秤棒一本の行商人から身を起こし、明治時代には初代甲府市長や貴族院多額納税者議員を歴任し、山梨県の政財界を代表する人物です。実業家としても東京電燈や東京馬車鉄道といった、帝都東京の重要なインフラを担う企業の経営権を手に入れ、甲州財閥の名を日本中に轟かせた偉大な功績がありました。甲州財閥が衰退したあと、若尾家墓所は甲府市内で甲州財閥の栄華を記す唯一の「史跡」あるいは「記憶遺産」となっていました。 若尾家の権勢を示す雄大な墓石も現在ではもう見ることはできませんが、その偉業を追悼する檀家さんの墓参写真を中心に若尾家墓所の記録を残すことといたします。
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